捕鯨推進派 VS 捕鯨反対派に望まれる科学的根拠に基づく議論
- オーストラリア在住ジャーナリスト
<記事要約>
「いまだに科学研究の目的と称して、捕鯨を続ける国々があります。わたしたちは、すべての国々、特にわたしたちと親しい日本の国に捕鯨をやめるよう勧告しています」
オーストラリアのマルコム・ターンブル環境相を起用した反捕鯨広告の映像が、今朝から日本語版YouTubeで公開されている。同環境相の地元選挙区にある中学校の生徒たちも登場するビデオには日本語の字幕が付けられ、YouTubeのグローバル版でも視聴することができる。
日本は毎年南極海で実施している調査捕鯨において、今年はナガスクジラとミンククジラあわせて約1,000頭の捕獲に加え、ザトウクジラ50頭を仕留める意向を持っている。
Telegraph TV
http://publish.vx.roo.com/thedaily/videoplayer/?Channel=Telegraph+TV&ClipId=1418_173556&bitrate=300&Format=wmp
2007/10/9 The Daily Telegraphより
<解説>
オーストラリアでは、国際捕鯨委員会(IWC)年次総会の動向がほとんど毎年トップニュースとして報じられる。日常的にニュース番組を視聴している一般家庭では、日本の大臣クラスの政治家よりも、反捕鯨国に英語で直に対応する日本政府代表団の森下丈二漁業交渉官(水産庁資源管理部)の顔の方が、よっぽどよく知られているんじゃないかと思う。
鯨への関心は高く、普段から連邦政府が強い反捕鯨の姿勢を示していることもあって、日本がいわゆる「調査捕鯨」を行っていることを知らないオーストラリア人は珍しい。今年は、ホエール・ウォッチングで人気の高いザトウクジラが捕獲対象に含まれることが明らかになったため、さらに注目が高まっている。
親日的といわれるこの国で、過去の戦争は別として、これほどまでに評判が悪く不信感に満ちた日本関連のトピックをわたしは知らない。不幸なのは、鯨問題でここまでやり玉に挙げられている、という事実を認識していない日本人が決して少数派ではないことだ。
あいにく捕鯨摩擦に関する日本語の情報は限られていて、出所をたどれば、その大半は商業捕鯨再開を目指す日本政府や調査捕鯨の関係機関に行きついてしまう。そうでなければ対立する立場にある環境団体というのが現状だ。
捕鯨推進派vs捕鯨反対派という構図の中で、都合のいいことだけが語られ、その一部がクローズアップされるものだから、不毛な論争ばかりが展開されることになる。
議論のスタート地点ともいえるミンククジラの生息数ひとつとってみても、日本政府は1990年の「76万頭説」を最新値とし、反捕鯨派はその半数以下とみなしている。IWC年次総会の鯨類資源の報告では、今年も生息数不明とされ、公式な推定値はIWC科学委員会で解析中ということになっている。
バランスの取れた全体像が描き出されない状況で、反捕鯨国、それもかつて鯨を乱獲していた先進国から「捕るな」と言われることは、ナショナリズム的な反発を招く悪循環にもつながっている。今回のYouTubeビデオにしても、「よけいなお世話」という声が上がるだろうことは目に見えている。
常識的なことを言うならば、国際捕鯨委員会(IWC)が「鯨類資源の保存と有効利用」を目的に掲げている以上、日本は伝統論や食文化論を、欧米諸国は感情論を捨て、あくまで「資源」という観点において、科学的根拠に基づく議論を展開すべきなのだろう。
でも、ちょっと待った。そもそも商業捕鯨の再開って、日本国民全体の利益を代表する「悲願」なのだろうか?
時代と共に変遷する食文化は、大衆の需要なしには存続しえない。鯨を食べたことのない若い世代に、いくら政府が「捕鯨、鯨食は日本古来の文化」と訴えても、ごく限られた地域の住民を除いては、実感できないというのが本音だと思う。
日本の調査捕鯨は財団法人日本鯨類研究所が担い、船舶と乗組員は民間企業の共同船舶からチャーターされている。致死的調査の副産物である鯨肉は、有効利用を図る義務を定めた条約に基づいて市場に出回り、その収益は次年度の調査費にあてられるという仕組みだ。
鯨肉在庫量は1998年に600トン台まで落ち込んだものの、捕獲頭数の拡大で供給量が増え、昨年4月末時点で約6,000トンに達した。販路拡大を目指す水産庁の後押しを受けて昨年設立された「鯨食ラボ」は、鯨肉が「高タンパク」「低脂肪」「低カロリー」の健康食であると謳い、地域によっては学校給食にも鯨メニューが復活している。
古式捕鯨発祥の地として知られる和歌山県太地町もそのひとつ。今年8月には、そこで給食に出されているゴンドウ鯨の肉から、厚生労働省が定める規制値の10倍以上の水銀が検出されたとJapan Times紙が報じた(http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/fe20070801a1.html)。実際は給食に使用された肉そのものではなく、町で市販されている同種の鯨肉の分析結果で、調査を依頼したのは地元の町会議員だった。
食物連鎖の頂点にある鯨には、水銀やPCBなどの有害物質が蓄積されて食用に適さないものがあることは海外ではよく知られているが、今のところ、南氷洋のミンククジラは汚染されていないと言われている。
商業捕鯨のモラトリアム(一時凍結)決議が国際捕鯨委員会(IWC)で採択されたのは、1982年のこと。日本の調査捕鯨は1987年に始まったから、今年で20周年を迎える。その間に、わたしたち日本人は 捕鯨の是非や賛否を冷静に判断する拠り所となる真実を知らされてきたのだろうか?
日本人にとってなくてはならないもの、というからには、日本政府はこのあたりで都合のいいことも悪いこともすべて包み隠さず、誰にでも理解できるかたちで示すべきではないだろうか? 当事者であるはずの庶民が、過去ではなく未来に向けて、鯨との関係を再確認しない限り、日本政府による「守るべきもの」をめぐる国民不在の孤独な闘いは続く。
【関連情報】
○ITmedia News 2007/10/09
「オーストラリア環境相、YouTubeで日本の捕鯨に反対」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0710/09/news063.html
○イザ! 「クジラは資源かペットか」 2007/06/17
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/57512/
○イザ!【勿忘草】鯨は賢いから食べてはいけない理屈? 2007/06/06
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/55535/
○Meine Sache ─マイネ・ザッヘ─ 「鯨と奴隷」 2007/06/05
http://meinesache.seesaa.net/article/43955894.html
○田中 宇 「捕鯨をめぐるゆがんだ戦い」 2000/07/30
http://tanakanews.com/a0731whale.htm
○日本史から見た最新ニュース
「捕鯨」問題は、日本の主張に「理」がある 2006/06/07
http://wanokokoro.seesaa.net/article/18951777.html
○花見川の日記 「漁業資源問題がちょっと気になった」 2006/11/05
最近、ちょうどこのテの話を友人としてて、漁業資源の減少の一因に
「鯨の過保護」ってのがあるんだそうだ。
http://d.hatena.ne.jp/ch1248/20061105#p1
○G★RDIAS 「クジラ肉は余っています」 2007/05/16
http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070516/1179316821
○リヴァイアさん、日々のわざ
「日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」 2007/04/02
http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/2007/04/post_afe0.html
○雪斎の随想録 対日カードとしての「捕鯨」、本当かよ。 2006/06/07
【中国】「日本の捕鯨に断固反対」98%、中国で強い反発
http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_454b.html
○この国を変える流星-METEOR 2007/02/10
「過激派反捕鯨団体シー・シェパードの攻撃を受けた日新丸の映像+資料」
http://meteors.blog85.fc2.com/blog-entry-40.html
○清谷防衛経済研究所 2007/02/11
「反捕鯨テロ団体、シーシェパードとグリーンピース戦略の変化」
http://kiyotani.at.webry.info/200702/article_8.html
○日本鯨類研究所
グリーンピースと動物福祉 「環境保護団体」は南極海で人と鯨に何をしたか
http://www.icrwhale.org/gpandsea-geiken431.htm
○カウンセリングルーム:Es Discovery 2007/01/11
スティーブン・J・グールド『人間の測りまちがい 差別の科学史』の書評:2
スティーブン・J・グールドは、生物学的決定論に代表される科学的客観性を
誤用した決定論には、『既存社会の政治的平等(権利の平等)への変化を抑止する
悪影響』があると喝破し、いつの時代でも科学は、既存社会の政治的脈絡や経済的
インセンティブ、社会の中心的価値観の影響を受けざるを得ないといいます。
私も、客観的とされる自然科学が『ありのままの世界の事実』を観察できるだなどと
過信することは危険だと思いますし、『対象の測りかた(観察・実験の方法)』や
測定した結果として出てくる『数値データ』が客観的だとしても、その統計データや
計測データを科学者がどのように解釈して理論化(法則定立)するかによって
意味合いが大きく変わってくると思います。
http://charm.at.webry.info/200701/article_8.html
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