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インフォームド・コンセントにまつわる医者と患者間の溝

 読者の方から「インフォームド・コンセント(informed consent)」について取り上げてほしいとのご意見をいただいた。毎回貴重なご意見をいただきありがたいことである。インフォームド・コンセントについては、合理的な考え方でこれが定着することは確かにいいことだと思うのだが、私たち日本人にはあまりなじまない考え方ではないかと著者は考えている。

 日本人は長いあいだ自分の意見をあまりはっきり言わずに生きてきた。物事をはっきり区別せずに処理することがむしろ得意な民族である。いわゆるファジーにしておくことで、その後に発生してくるであろう、予測のつかない事態に対処しやすいようにしてきたのである。それも一つの日本人の文化かも知れない。

 そもそもインフォームド・コンセント(説明を受けた上での同意)やセルフ・ディターミネーション(自己決定権)という言葉は1900年初頭にニューヨークで起きた医療裁判の過程で生まれた言葉らしい。そのせいだろうか、どうも医師と患者の信頼関係を築くというイメージからはいささか距離感があるように思うのだが。

 それはさて置き、同意を得るためにはまず医師が以下のことを明確にわかりやすく患者に伝えなければならない。

  1)病状の説明と進行について
  2)治療法にはどんなものがあるか
  3)推薦する治療法とその根拠
  4)治療に伴う危険性と副作用
  5)その他に考えられる治療法や費用について
 
 以上が一般的なインフォームド(情報公開)である。簡単なようだがこれらをわかりやすく患者に説明するのは容易な事ではない。患者にはさまざまな人たちがいる。たとえ医学上の常識であっても患者にとっては未知の事柄が多い。専門用語を出来るだけ使わず難しいからだの仕組みや医学の基礎を写真や図、模型などを駆使して短時間で説明しなければならない。患者の判断力が十分でない子供や認知症の高齢者であれば、その家族に対しても同時に説明をしなければならないからだ。

 次は、これを同意する患者側からの視点で観るとどうか。患者本人は今まさに病気やケガで苦しんでいる最中であり、この先自分はどうなってしまうのかという不安や焦燥感でいっぱいである。そんな状態で医学の難しい話を聞き治療方針に同意するかどうか判断しなければならないのである。患者が子供であればたいていその親が判断を迫られる。

 現在ではこのインフォームド・コンセントをさらに一歩進めて、「治療の決定権は患者側にある」という考え方からインフォームド・チョイス(説明を受けた上での選択)が求められることもある。医師の判断に任せるのではなく患者自身の希望と判断で治療法を選択し自己決定権を行使するというのがインフォームド・チョイスである。がんなどの難治性の病気で治療法を決定しなければならないときにしばしば取り入れられる。

 場合によっては、患者の下した判断があらゆる医学常識に反することもあるだろう。しかし、それでも患者自身が納得の上で決断した道であれば、それはそれで尊重されるべきであろう。このようにインフォームド・チョイスには、与えられた医学情報を解釈する高い判断力とその結果患者自身にもたらされる治療結果に対して、自己責任が伴うことになる。

 さて、ここで問題になるのは何か。すでにお気付きの読者も多いことと思うが、それが前回この欄で触れた「基礎医学の知識」である。人体がどのような仕組みで成り立ち、自分が食べたり飲んだりしたものが体の中でどのように吸収され、合成され、代謝されていくのか。

 それらを解剖学、生理学、生化学、病理学、薬理学、細菌学などの視点から学び、自らが持つ五感で日々自分の体調変化を感得出来るような生活を心がけることが出来れば、国民の健康意識はおそらく上がるだろう。現在の高血圧患者、心臓病患者、糖尿病患者の10%が減り、メタボリックシンドロームにならず過ごせるとしたら、わが国の国民医療費を大幅に減らすことにつながらないだろうか。そんなことを空想したのである。

 話をインフォームド・コンセントにもどすことにしよう。自分の体は自分のものだから、それについてのすべての決定権は自分に帰属するとした時、もしも自分が突然意識を失って生命の危機にさらされ、もはや意思の確認が出来ない状態に陥ろうとも、「人工呼吸器の装着はしないでほしい」という明確な意思表示を日ごろから示していれば、それはそれで尊重されるべきであると考えるのである。もしかしたら自然死の方が自分らしいと考える人もいるかも知れない。

 これもまた、前々回のこの欄で触れた「いのち」への信仰につながる著者の一貫した考えなのだが、ぜひ読者諸兄のご批判を賜りたいと思う。

 このようにインフォームド・コンセントには医者側の問題点もあれば、患者側の問題点も未だ解決出来ていないのが現状なのである。医者と患者が対等な立場で歩み寄り、話し合い、お互いに尊敬の念を持って結論を導き出せるようになれば、昨今話題になっている「診療行為に関連した死亡事故に係る死因究明等の在り方」や、「医療崩壊」の問題、「医師法21条」の問題も解決策が見えてくるのではないかと思うのである。

 

【編集部ピックアップ関連情報】

○MediaSabor  2008/02/11
 「基礎医学を義務教育化したら、どんな効果が予測されるか」
http://mediasabor.jp/2008/02/post_324.html

○ものろぎや・そりてえる 2008/01/26
 「覚書(2)医療現場での“自己決定”について」
 近年では、むしろ自己決定権という積極的な側面において
 インフォームド・コンセントは話題となる。どのような医療を受けるか、
 さらには自分の生死に関わる場面でどのような決定を下すか。医師の
 言うままになるのではなく、自分のことは患者自身が決めるという要求
 が社会全般から強まった。そのために必要な情報開示として
 インフォームド・コンセントは位置づけられるようになった。
http://barbare.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_b7a1.html


○介護道楽・ケア三昧 「痴呆を患った高齢者の臨終を考える(4)」2006/12/28
 高齢社会は、「死」への心構えを否応なしに迫られる社会でもあります。
 避け得ない「死」を目前にしたとき、私たちには一体何かできるのでしょうか。
 医者の立場からごく割り切れば、つぎの3つに整理できます。(1)治療に手を
 尽くす(積極的延命治療)、(2)治療を手控える(消極的安楽死)、(3)薬など
 で楽に死なせる(積極的安楽死)。それぞれに本人の意思の有無(自発的か
 非自発的か)を区別します。
http://seizankai.da-te.jp/e8827.html

 

 


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