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人生を左右する18歳のメディア体験(by 神田敏晶)

マイケルジャクソンの「スリラー(1982年12月1日)」が発売されてから、なんと25年もの時が経ってしまっている。つまり1/4世紀が経過しているわけだ。
http://michaeljackson.com/

「ベストヒットUSA」を毎回タイマーでセットし、録画したソニーのBetaテープを擦り切れるほど見て、知人と集まりダンスを練習していた。そしてみんなで一斉にステップを覚えてディスコへ踊りに行く。ビデオの登場によって、難しいダンスもみんなで踊れるようになった。21歳の大学生のボクがそこにはいた。

それが今では、何の苦労もせずに、「マイケルジャクソン.com」
http://michaeljackson.com/mythrillervideo/
で写真を3枚登録するだけで、自分がマイケルジャクソンになって「スリラー」を踊るビデオを生成でき、知人に知らせたり、自分のブログに貼り付けることができるようになった。集められた素人写真参加ビデオは、YouTubeの公式チャンネルにも晒されているという構図だ。
http://jp.youtube.com/user/mythrillervideo32


元・ディープパープルのボーカリスト、イアン・ギランは、「スモーク・オン・ザ・ウォーター・コンテスト」 http://www.gillansinn.com/contest.php
を開催した。MP3のカラオケをダウンロードさせ、ユーザーがギターやボーカルを録音し、それをアップロードし、サイトでランキングを競いあう。サイトでは、いろんなバリエーションの「スモーク・オン・ザ・ウォーター(1972年発表)」を聴いて楽しむことができる。そして優勝者は、イアン・ギランと一緒のステージでこの曲を演奏することによってこのキャンペーンは終了した。

ジャーニー(1980年代に活躍)のギタリスト、ニールショーンは、バンドのメインボーカルを探していた。ある日、YouTubeに勝手にジャーニーの楽曲をアップロードしているフィリピンのコピーバンド「The Zoo」を発見した。http://www.youtube.com/watch?v=88nfiZ-yy5Q

その時彼は、マネージャーに「このボーカリストをぜひオーディションに呼びたい!」と指示したそうだ。そして、めでたく今では、ジャーニーのボーカリストには、フィリピン人のアーネル・ピネダ(Arnel Pineda)が正式メンバーとしてツアーに参加し、レコーディングにものぞんでいる。きっとYouTubeに違法なアップロードがされていなければ彼のデビューはなかったことだろう。

ボクのティーンネイジャーだったころの音楽たちが、インターネット時代を迎えて大きく変革してリバイバルしている。さらに今年からは、自分で演奏したアーティストの楽曲をYouTubeやニコニコ動画、eyeVioにアップロードしても、JRCやJASRACの委託楽曲であれば、違法ではなくなるのだ。自分が歌うことによって、アーティストに著作権料を還元できるという新しいリスペクトの仕方も生まれることとなった。すごい時代になり始めている。

インターネットの影響力は、デジタルネイティブな人たちが増えることによってさらに増幅されることだろう。それを理解するためには、まず自分の18歳の頃のメディア遍歴をたどってみるとよくわかる。

ボクの時代、音楽はMTVの登場によって、膨大な音楽以外の映像情報が流れ始めた。それまでは、FM雑誌(FMラジオの番組紹介雑誌)の情報を頼りに、FMをエアチェック(録音)することが流行というよりも、高価なレコードを購入する唯一の代替手段であった。

FM局では発売されたばかりの新譜のA面を放送し、その間にコマーシャルを挿入してから、B面を放送するという太っ腹な放送を展開する。その放送を受信するために、高価なステレオシステムの情報をFM雑誌のオーディオ特集でチェックする。

そしてボクたちは、万一、エアチェックをし損なってしまうと、仕方なしに新譜のレコードを購入するというスタイルをとっていた。その頃、1割の値段でレコードがレンタルできる黎紅堂(れいこうどう)という貸しレコード屋が誕生(1980年)したことによって、カセットテープによる文化が誕生した。

今でいうところのCGM(コンシューマー・ジェネレーテッド・メディア)だ。影響のあるのはたった一人の彼女だけだが、そのカスタマイゼーションに大量の時間と、なけなしの小遣いが注ぎ込まれたのはいうまでもない。

レコードとちがって、カセットテープは、ステレオシステムのないところでも聞けた。深夜ラジオを聴くために買ったテレコ(テープレコーダー)が、1979年に誕生したウォークマンによって電車の中で聞くことができるようになった。その時のボクは18歳だった。

2台のカセットでオリジナルテープを作成し、彼女にプレゼントするのが当時は流行っていた。時おり、マイクで自分のおしゃべりDJを挿入したりするヤツも登場し、それがとってもカッコよかった。

レコードは、カセットテープとなり、音のクォリティは落ちるが、電車やバスの中でも音楽を楽しめるようになった。スキーに行っても音を聴きながら滑ることができることにとても感動した。まさにモバイルミュージックスタイルの「あけぼの」であった。いつでも、自分のオリジナルテープを、ヘッドフォンで聞かせることができるようになったのである。カセットテープのラベルにもインレタ(インスタントレタリング)が施され、オリジナルテープは世界でひとつだけのプレゼントでもあった。ワープロなんてなかったからだ。

当時のボクの父母はともに50歳前後。
ラジオのDJの真似ごとが自宅で、簡単にできることに驚愕していたことを覚えている。80才前の祖父母などは、ラジオに孫が番組を持っているかのように時おり勘違いしてくれたようだ(笑)。また、祖父はカセットのオートリバース(A面B面の自動反転)機能の概念がまったく理解できなかった。よくエンドレステープを不思議そうに見つめていた…。

ボクが18歳になって車を初めて乗った時には、クーラー付きの車とカーステレオがステイタスの時代となり、ナンパな大学生にとって車は必須のアイテムであった。そして、膨大な西海岸ブーム。ファッション、カルチャー、フード、情報が、いろんな物欲をそそるカタログ雑誌「Popeye(ポパイ 1976年創刊)」によって紹介され、大量に消費するという高度成長期を遊んできた。父母たちは必至に働き貯蓄してきたが、ボクたちは、アルバイトで稼いでは、デートやホビーの消費財につぎ込むというライフスタイルだった。

そんな80年代。1984年にMacintoshという高価なパーソナルコンピュータが生まれていた。当時のコンピュータといえば法人でしかも専門職の人のための堅牢なツールであり、誰もが一人一台使うような時代になるなんて、想像ができなかった。スティーブ・ジョブズとウォズニアック以外は…。

そして、パーソナルコンピュータは、日本では「98」という名前で呼ばれた。98とはNECのPC-9801シリーズ(1982年登場)のことである。日本語という特殊な環境において、日本のパソコンといえば、98もしくは98互換の時代が続く。「一太郎」と「ロータス123」が大きなシェアを握っていた。「コンピュータ、ソフトなければただの箱」と揶揄された。今では、「コンピュータ、サービスなければ、マイクロソフトOSのパッケージ」と呼ばれるのかもしれない。

そして、就職し、やがてバブルの栄華とその終焉が始まり、マルチメディア、ブロードバンド、ユビキタスを経て、Web2.0、SaaS時代へとたどりつく。

18才の多感な頃のメディア接触は、その後の人生のメディア感に大きく影響していくようだ。ボクがまだ、こうやってネットの業界で楽しく生きていけるのは、新しいメディアの到来に対してアーリーアダプターだったからだと思う。それでも、携帯というメディアには、かなりの違和感を感じることが多い。そういう意味では次世代携帯シーンにおいては、おいてきぼりになってしまうのだろう。だから必至に、キャッチアップしていくために苦労して、「モバゲー」や「キャラ文字」に励んでいる。
すでに「ニコニコ動画」の初音ミクの楽しさがわからないので、日々理解しようと見続けているがさっぱりわからない。やばいぞ、オレ!

みなさんも、それぞれ18才の頃のメディア体験を思いおこしてみてほしい。
おそらく、その時代のメディアの特性、十代ならではの、はちきれんばかりの熱狂する音楽やエンターテインメント体験は、その後の7割近くの人生の時間に大きく影響を与えるはずだからだ。

特に音楽の趣味は、時代に強く影響を受けざるをえない。他のエンターテインメントやコンテンツもそうだろう。

現在77歳の父が18才の頃の主なメディアはラジオや映画であった。
父の映画に対する愛着は想像を絶する。テレビは大人になってから普及したので愛着が全く違う。しかも10代の食べざかりの頃を第二次世界大戦(1939─1945)の中で過ごしているから、娯楽への飢餓もすさまじい。インターネットは試してみたものの、小さな文字を見るのがつらいようだ。また、インタフェースとしては、新聞やテレビでないとつらいようだ。携帯は、電話としては使いこなしているが、携帯メールはリードオンリーだ。

20年前に亡くなった祖父の18歳の頃は、映画はサイレントが当たり前で、活弁士もいなかった頃だという。つまり、映画は、生まれたてのニューメディアであり、演劇や記録などの亜流であったようだ。産業としても成立していなかったそうだ。ラジオ放送も開始されておらず、娯楽メディアは新聞や雑誌、生の舞台であった。しかし、後年、映画やテレビを普通に堪能していた。もしも祖父の時代から、インターネットがあったらボクたちの70年代、80年代はどうだっただろうか?

ボクには、まったく想像もつかない。

もしもあったとすると…。
当時のつきあっていた彼女のブログから、「あのカセットテープの編集は、よかったわ!」なんてメッセージがプライベートな検索でしっかりひっかかるのかもしれない。元元元カノのその後の人生や、後後カレの存在も、「見える化」されてしまうのが、今の時代なのである。

現在の日本の18歳に目を向けてみよう。1990年(平成2年)生まれだ。

「ゆとり世代」として育ち、今までのどの年代よりも余暇を楽しめる学生時代を送っている。財布は6ポケットで、「新人類ジュニア」という「新人類」と言われた親の価値観で育っている。
アメリカの団塊ジュニアである「エコーブーマー(1982年から1995年に生まれた世代、ベビーブーマーの子供たちの世代の総称)」と同時期であるが、米国の1/3を占めるほどの影響力はない。逆に圧倒的な少子化社会という点では、貴重な世代でもある。

大学には誰もが入れ、2012年の就職時期には、どの会社も日本語でコミュニケートできれば即採用という時代になっているかもしれない(外国移民の大量採用が必須になるからだ)。反対に優秀な人材は、企業間で壮絶な奪い合いになるだろう。2011年に予定されているテレビアナログ波の停波は、アナログ時代の本当の終焉になるのかもしれない。

彼らは、幼稚園時代にWindows95のブームを体験し、家でもインターネットパソコンが普及しはじめた経験を持つ。物心がついたころから、教育用のCD-ROMでクリックして遊んでいる。小学校5年生の11歳の年にはADSLのブロードバンドを体験する。

中学、高校とパソコン、いや携帯を主体とする生活を送ってきている。
すでに、テープデバイスで唯一手元にあるのは、VHSテープであり、音楽はCD、MDしか知らない。

さらに、生まれる前のお腹の中にいるところからビデオで撮影され、父親のビデオ編集により運動会をあとで楽しむ。iPodは必須のツールとなり、好みの音楽はクラスの枠を越えて、ネットの向こう側にいるもっと自分と趣味のあうひとと共有する。

掲示板や、ニコニコ動画の匿名の人とのコミュニケーションにも慣れている。
知りたいことは、図書館よりもYahoo!やGoogleで調べる。図書館は静かな場所を提供してくれる場所だ。

テレビを見ている時も、友達とずっとメールでつながり、ようやく18才になったので、mixiにもデビューできる。アダルトコンテンツといえば、中学生のころから、海外のアダルトサイトを知っているので、いまさら18歳以上でYES、NO を聞かれてもまったく意味がない。

そんな、「ジェネレーションY」や「デジタルネイティブ」な世代があと4年もすれば社会にデビューし、会社に配属されてくる。

今までは、ストックや記憶、経験で仕事をしてきたボクたちだけど、彼らにはそんなものは必要がない。検索したり、誰かが持っている情報で賄えてしまうからだ。むしろ、彼らから学ぶべきところが、たくさんあるとボクは密かに期待している。

インターネットは人類をどのように変えてしまうのか?
あと数年でその本性がみえてきそうだ。

 

【編集部ピックアップ関連情報】

○MediaSabor  2008/03/31
 キング・オブ・ポップ=マイケル・ジャクソンの『スリラー』発売25周年記念盤
http://mediasabor.jp/2008/03/25.html


○MediaSabor  2007/11/29
 「初音ミク」をめぐるプロとアマの「差」
http://mediasabor.jp/2007/11/post_272.html


○MediaSabor  2007/04/29
 「動画コンテンツビジネスの将来 ―次世代CGMコンテンツの最新動向―」
http://mediasabor.jp/2007/04/post_84.html


○My Life Between Silicon Valley and Japan
 「サバイバルのための人体実験を公開すること」 2007/06/15
 これまでの常識を疑わずに生きたときに本当にサバイバルできるか
 どうかもわからないほど大変なこれからの時代に、「サバイバルする
 ための戦略性って何? 」っていうことを考え抜いて、あんまり誰も
 やっていないことかもしれないけれど、きっとこういうことが勝負
 どころなんだろうな、と確信したことを逐一、行動に移して、それを
 公開しているだけなのである。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070615/p1


○FPN  「デジタルデバイドの本当の問題は?」 2007/10/09
 決してPCやインターネットが使える環境があるかどうかではなく、
 思考としてデジタルを活用することでどのような恩恵があるかどうか
 を常に考える必要はあると思います。
http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=2722


○無名の一知財政策ウォッチャーの独言
 「第78回:コンテンツ流通と著作物の公正利用」2008/03/29
 著作権問題の本質は、ネットにおける既存コンテンツの正規流通が
 進まないことにあるのではなく、インターネットの登場によって
 新たに出てきた著作物の公正利用の類型(検索エンジンにおける
 利用などその典型だろう)に、今の著作権法が全く対応できておらず、
 この公正利用まで萎縮させ、文化と産業の発展を阻害していること
 にあるのだと私は考えている。
http://fr-toen.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_cf57.html


○日経デジタルコア【ネット時評 : 鬼木 甫(大阪学院大学)】2008/04/07
 「アナログ停波の時期は妥当か――経済学の視点で検証する(上)」
http://www.nikkeidigitalcore.jp/archives/2008/04/post_147.html


○ITmedia News  2008/03/27
 「YouTubeに初の音楽著作権包括許諾・JRC スピッツやラルクもOK」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0803/27/news064.html


○P2Pとかその辺のお話@はてな 2008/04/02
 「ニコ動とJASRAC:その曲は本当にJASRACが管理してる曲?」
http://d.hatena.ne.jp/heatwave_p2p/20080402/1207106750


○CNET  2007/12/14
 ネットの住人が心地良い居場所を作りたい--「ニコニコ動画」を生み出した企業文化
http://japan.cnet.com/special/biz/story/0,2000056932,20363272,00.htm


○19790401173.4 「最近の女子中学生の携帯の使い方」2008/04/07
http://d.hatena.ne.jp/ramyana/20080407/1207585004


○SHINOblog 「ジャーニーのボーカルじゃにー」 2008/02/16
 ついに「ようつべ」からとんでもないシンデレラ・ボーイが現れましたねえ。
 フィリピン出身のアーネル・ピネダさんは小さなクラブで演奏する
 「The Zoo」というバンドのボーカリストで、たまたまジャーニーの
 メンバーがピネダさんの動画を見て「ぜひジャーニーのボーカリストに」
 と連絡をとったんだそうです。
 この人はブライアン・アダムスとかTOTOとかチープ・トリックなんか
 (みんな古いなあ・・・)のカバーもやってるんだけど、もちろん歌
 そのものも上手なんだけど、とーにかく本人そっくりに歌うのも
 うまいんですよ。
http://shinobu.cocolog-nifty.com/apty/2008/02/post_8a5f.html

 

 


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