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どちらが正しいかではなく─動画共有サイトと著作権侵害問題

「イノベーション」というと、何かものすごい発明とか、誰もが無理と思っていた画期的な機能とか、そういったものを思い浮かべがちだが、かつてシュンペーターがイノベーションに与えた定義は、簡単にいえば「生産要素の新結合」だった。こう書くと、そういうすごいものばかりでもなさそう、と思えてくる。ちょっとした工夫もイノベーションだし、すでにあるものをうまく組み合わせるような開発もイノベーションにあたる場合があるかもしれない。

2007年のネット業界は「動画の年」だったといってもおかしくなかろう。中でも、これまでアメリカのYouTubeが一人勝ちしてきた動画共有サービスの分野で、2006年12月からサービスを開始した日本発の「ニコニコ動画」は、2008年1月にはID登録者数500万人を突破する等、大きな注目を集めた。しかしこれは、単なる新たなネットサービスの登場、という範疇ではくくれない重要な意味を持っている。

ニコニコ動画の中核的なシステム、つまり動画の上にコメントを表示するシステムが、1人の技術者によってわずか3日間で開発されたという話は、業界の人々の間ではよく知られている
(参考: http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20070910/281570/)。

もちろん、だから技術的にたいしたことないということではないのだが、少なくとも、従来のものを無意味にするぐらいの「信じられないすごい発明」という類のものではないし、他の誰にも開発できない「超先進的な技術」というようなものでもないだろう。にもかかわらず、このサービスは、動画と掲示板という別種のサービスを組みわせて新たな楽しみのかたちを提示したという意味で、まぎれもなくイノベーションであり、そのもたらした大きなインパクトからいえば、まさに画期的だったといえる。

一応念のため簡単に書いておくと、ニコニコ動画は、動画に合わせてコメントを表示するシステムであり、YouTubeなどと同じような動画投稿サービス「スマイルビデオ」と併せて利用される。基本的には、ユーザーから投稿された動画を視聴できるというものだが、独特なのは、この動画の画面上に、ユーザーたちがつけたコメントが流れてきて、それらが重なって表示されることだ。

時には元の動画がよく見えなくなるほどのコメントは、動画に対する感想やつっこみがほとんどだが、中には動画と組み合わせて見ることで新たな面白さを作り出すクォリティの高いものもある。少なくともユーザーは、コメントを含めて動画を楽しんでいるわけだ。YouTubeにもコメント機能はあるが、動画とは離れた場所にあるため、「書き残しておいた」という印象が強い。これに対しニコニコ動画は、コメントが流れてくるという動きがライブ感を与え、まるで他のユーザーといっしょに見ているような感覚を得ることができる。

ニコニコ動画がはっきりと示したことは、私たちの動画コンテンツへの接し方の中に、プロが「創造」した「商品」を一般消費者が「消費」するというような一方的な関係ではないものが少なからずある、ということだ。

少なからぬユーザーにとって、このサービスの利用は、むしろ動画をネタとしたコミュニケーションの一形態と表現したほうが近い。それは、いってみれば、私たちが1つの部屋に集まって、わいわい言いながらテレビを見ているようなものだ。ネット掲示板が、井戸端会議の場所をネット上に疑似的に作り出すものだとすれば、ニコニコ動画は、いっしょに動画を見ながら会話する「お茶の間」のような場をネット上に疑似的に作り出すものだということができる。そうした意味で、まさに「イノベーション」であるわけだ。

しかし、権利者の許諾なしに動画を投稿しネット上で公開すれば、著作権侵害行為にあたる。これまで、人気のある動画共有サービスの事業者は、YouTubeも含めて、基本的に侵害の責任は投稿者本人にあるとしたうえで、侵害を指摘されれば削除するという対応をとってきた。このやり方は、ユーザーが削除後すぐにまた同じ動画をアップロードすることにより、事実上骨抜きにすることができる。実際、こうした行為が数多く行われてきた結果、動画共有サイトを著作権侵害の象徴とみなす人も少なくない。

しかし最近、流れははっきりと変わってきた。まず、著作権侵害コンテンツ検出の技術が進んだ。これによって違法投稿動画の削除が容易になり、動画共有サイトにおける違法投稿動画の比率は次第に低下してきている。

また、これを受け、権利者が動画共有サービスを広告媒体として活用するようになってきた。まだ既存マスメディアほどではないにせよ、影響力のある「メディア」として認知され始めたわけだ。そして、これらのおかげもあって、懸案だった著作権侵害問題についても、動画共有サービス事業者が著作権料を支払う動きが出てきている。今後どうなるか、確実なところはまだわからないが、サービス事業者はより社会との折り合いをつける方向へ進みそうだし、社会の側でも認知・受容へと進む流れが見えつつあるように思われる。

こうした一連の動きは、水滴が集まって小さな流れとなり、次第に大きくなって、やがて川となっていくさまを髣髴とさせる。力が弱くて流れを作ることができない最初のうちは、ただの汚い水たまりにすぎない。流れができても、まだ量が少ないうちは、「邪魔だ」とせき止められてしまうかもしれないし、それを飲むこともできない。しかし、流れがあるところまで成長してくると、事態は一変する。「川」として認知されれば、そこに川があることが前提となって橋がかけられたり、その水を生活用水に使おうとする人が出てきたりする。動画共有サービスも、利用者が増え、メディアとしてあるところまで影響力が出てきたことで、道が開け始めたのだろう。

ここで重要なのは、「流れ」が邪魔されずに育ったからこそ、利用できる「川」にまで成長したということだ。流れがまだ脆弱なうちに強引にせき止められていたら、そのまま終わっていただろう。動画共有サイトも、ビジネスモデルがまだ不明の初期段階で著作権侵害問題を厳しく追及されていたら、ひとたまりもなかったはずだ。ニコニコ動画の場合も、先行するアメリカのYouTubeの成功や利用者の心をとらえた独自のサービスもさることながら、国内における法の運用があいまいであったことも、ここまでこられた大きな要因の1つといっていいのではないかと思う。

法は直接的に権利義務に介入することができる強力なものだが、その代わり簡単に変えられず、硬直的な運用しかできない。ネットサービスのような、技術革新のスピードが速く、状況がどんどん変わっていくような領域では、法というツールは必ずしも完璧な存在ではない。著作権保護問題の場合、重要なのは「どちらが正しいか」を決めることではなく、「どういう資源分配がフェアか」だろう。法による厳格な規制が必ずしも望ましい結果につながるわけではない。

動画共有サイトのケースでは、法の運用を「柔軟」に行っている間に技術の進歩や社会の変化が起きた結果、よりよい資源配分の方向性が見えてきた。現在検討されている著作権法改正問題でも、もう少しゆっくり、技術や社会、人々の考え方の変化を見ながら進めていったほうがいいのではないか。拙速な規制強化は新たな工夫や技術革新を阻害し、利用者を不必要に萎縮させ、ひいては権利者を害するものとなるおそれがある。ニコニコ動画の登場によって、われわれは、著作権を利用者の側から見る視点を獲得することができた。この視点は、中長期的には権利のあり方についての社会的合意自体にも大きな影響を与えうるものだと思う。今は拙速な規制強化に走るべきときではない。

サイバー法の第一人者である米スタンフォード大学のローレンス・レッシグ教授は、社会的統制を行う手段として、法・規範・市場・アーキテクチャの4種類があると指摘した。「アーキテクチャ」とは「コンピュータ、ネットワーク、プログラムなどのシステム設計および設計思想」を指し、現代の情報化社会ではこうしたものが意識されないところで人間の行動できる範囲を制御していると指摘する。

レッシグは憲法学者らしく、法に比べてより「徹底的」なコントロールが可能なアーキテクチャを、より慎重な手続きを必要とする法によって規制することを主張している。それ自体に異存はないが、社会統制のしくみのうち、最も進化が遅れているのが法だということも考えておくべきだと思う。アーキテクチャは、適切に設計することによって、より効率的かつ効果的に、資源配分を行うことができる。ならば法のあり方も、アーキテクチャの進化に応じて変化していくほうがいいし、アーキテクチャの進化に対応できるような柔軟性を持たせておくほうがいいし、アーキテクチャによってよりよく制御できる部分はアーキテクチャに任せたほうがいいのではないか。

「新しい酒は新しい革袋に」ということばがあるが、社会が変わっていく以上、4つの社会統制手段の組み合わせも、必要に応じて変えていく必要がある。ネットサービスにイノベーションが起きるのと同じように、社会的統制の手法においても、イノベーションが起きてしかるべきだ。前者が画期的な変化である必要はないのと同じように、後者も画期的なものである必要はない。目的は、最終的には、よりよい社会を作ることだ。何が「よりよい社会」かについてはさまざまな意見があるだろう。それこそが考え、議論していくべき内容だと思う。異なる意見のどちらが正しいかではなく。

 


【編集部ピックアップ関連情報】

○CNET  2008/03/10
 ひろゆき氏が明かす、「ニコニコ動画が人気な理由」と「コミュニティ運営のコツ」
http://japan.cnet.com/interview/story/0,2000055954,20368940,00.htm


○CNET  2008/02/06
 「見て欲しい」の本質忘れるな--吉本が語るネット時代の権利者像
http://japan.cnet.com/column/pers/story/0,2000055923,20366279,00.htm


○ITpro  2008/01/01
 小飼弾【Watcherが展望する2008年】 コモディティとならざるもの
 ニコニコ動画で動画を視聴するというのは、単に動画というコンテンツを
 眺めることではありません。その動画を見た他の視聴者と、コメントを
 介して体験を共有することなのです。コメントを切って動画だけ見ること
 もできますが、それではYouTubeと変わるところはありませんし、実際
 そうやって動画を見てもあまり面白くないのです。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20071231/290385/


○ハコフグマン 「プロとアマの境界で考える」 2008/03/03
 以前からこんな新しい仕事できないかなあと考えている構想
 (アマチュアとプロの境界線を無くすようなビジネス)があって、
 2年ほど前に一度トライしたのだが、準備不足であっさり挫折した。
http://elmundo.cocolog-nifty.com/elmundo/2008/03/post_622c.html


○雑種路線でいこう 「文化の変遷への適応と流動性」 2008/02/02
 破壊的な技術革新の多くは、アーキテクチャだけでなく思想の転換を伴う。
 そして旧いモデルで成功した組織にとって、アーキテクチャ以上に思想の
 転換が難しい。XML、IP、Web戦略それぞれの世界で、新しいアーキテクチャ
 が成功したが故に、旧来のプレーヤによる旧い発想が上書きされた世界を
 数多く発見できる。人材や会社や設備は買うことができるが、組織として
 何を大事にするかという企業文化だけはカネで買うことはできない。
 多くの企業買収が失敗する所以である。
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20080202/ntt


○Goodpic 2007/12/08
 「ケータイという新しい流通チャネルの巨大トラフィックが、
 小さな小説市場を蹂躙した年」
 ケータイ小説ベストセラー現象を、小説としての内容の善し悪しは
 一切切り離して、単純にその普及するプロセスと流通チャネルに着目
 してみると面白い。まとめると、『無料でオープンなコンテンツで、
 新しい顧客を開拓』して、『既存のビジネス(流通チャネル)に誘導』
 することで、新しいマーケットを開拓した、ということでは? 
http://www.goodpic.com/mt/archives2/2007/12/post_220.html


○Attribute=51 2007/12/12
 ニコニコ動画が言い続けた「アンチ集合知」とは何だったのか
 極論かもしれませんが、「楽しい」「嬉しい」を突き詰めていくと、
 「他人から自分を肯定してもらえる」というところに行きつくのだと
 考えています。この場合、自分が世の中的に正しいかどうかなんて
 関係なくって、認めてもらえればそれだけで嬉しい。だから感情の
 集合知とは、「ユーザーが、あたかも他者から受け入れられている
 ように感じられるための集積体」だと思うのです。
http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20071212/1197437376


○fladdict.net blog 「イノベーションの分業」 2007/12/09
 ニコニコで色々と実験したときの雑感。
 1:アイデアを思いつく人
 2:そのバリエーションスタディーをひたすら再生産する人
 3:成熟したネタをうまく料理して、高品質なコンテンツを作る人
 この分業体制が2ch時代より成熟、加速してきた印象。
http://fladdict.net/blog/2007/12/post_115.html


○広告β 「イノベーションの4つの条件(メモ)」 2007/02/25
 イノベーションは必ずしも新技術だけで完結するものではなくて、
 企画要素と技術要素が絡み合うことが多い。たとえば発想は面白くて、
 技術的にも難しくないが、いろんな分野の技術を組み合わせる必要が
 ある場合も多い。そういうときに、分野をまたいで、技術や発想を
 組み合わせて編集することが必要になる。ニーズと技術を組み合わせる
 力とか、新技術を市場のニーズに合わせて商品化する力とか、スーツと
 ギークを取り持つ力とか、そういう編集能力が必要になってくる。
http://kokokubeta.livedoor.biz/archives/50944085.html


○赤の女王とお茶を「イノベーションは競争の外部よりきたる」2007/07/28
 そもそも、競争というのはなんらかのルールに従って勝敗を競うこと。
 コレに対してイノベーションは既存のルールを超えるところから
 始まります。競争の外部や、外部に向かう動きの中から生まれるのです。
http://d.hatena.ne.jp/sivad/20070728#p1


○わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
 「イノベーションの神話10」 2007/11/14
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2007/11/10_d957.html


○お仕事日誌&一日一麺  2006/08/26
 「日々ルーチンな仕事に追われている人は、ルーチンな仕事の処理に
 埋没して長期的な展望とか革新的な解決策とかを考えなくなってしまう」
http://blog.novsix.com/2006/08/post_64.html


○ITmedia News  2007/12/07
 「YouTubeは世界共通語」――角川会長の考える“次の著作権”
 「YouTubeには確かに、角川の作品を含め、著作権をクリアしていない動画が
 たくさん上がっている。日本の権利者はすぐに訴えてやめさせようとするが、
 日本の起業マインドを萎縮させるだけ。日本の競争力強化にもつながらない」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0712/07/news012.html


○ITmedia News  2006/03/27
 ネット著作権が「危険な方向に走っている」──レッシグ教授
 「創作物の共有に、これほどまで規制がかかった時代は、これまでになかった」
  ――クリエイティブ・コモンズ提唱者のレッシグ教授が、著作権法とネット上の
 クリエイティビティについて語った。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0603/27/news075.html


○音極道茶室 「レッシグ氏に、YouTubeについて質問してみた」2006/09/26
http://www.virtual-pop.com/tearoom/archives/000168.html

 

 


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