
映画『今夜、列車は走る』から、日本とアルゼンチンの国鉄民営化を振り返る
- 著述家・編集者
日本の国鉄が分割民営化して21年になる。地球のちょうど反対側にある南米アルゼンチンでは、1990年代に国鉄が民営化された。独立系のアルゼンチン映画『今夜、列車は走る』は、民営化による鉄道廃止で職員たちが失業してしまうという当時の様子が、新鋭のニコラス・トゥオッツォ監督によって描かれている。この映画作品を通して日本とアルゼンチン両国の国鉄民営化を振り返り、当時の時代背景や社会事情などを比較してみた。
▼判例を通じて私が出会った旧国鉄職員
私は大学時代に労働法を専攻した時、国鉄蒲田電車区事件の判例を取り上げたことがある。作業後に洗身入浴していた慣行が、勤務時間に含まれるか否かを巡る民事訴訟だ。私はこの訴訟に関してだけでなく、鉄道現場の事情や分割民営化による人員整理に関しても、旧国鉄職員の人たちから話を聞くことができた。
鉄道員というと駅員や車掌、運転手を連想させるが、目立たない部分で活躍する従業員もいる。例えば保線区員は最も厳しい労働環境に置かれる職種の一つで、列車が通らない深夜に保線作業することが多い。事故や災害の時は緊急出動し、猛暑で線路が伸びたり、大雪で除雪が必要な場合にいち早く駆けつける。
日本国有鉄道が巨額債務を解消するため1987年に分割民営化され、それに伴う人員整理で多くの職員が鉄道現場から離れた。先を見越して転職した人、新会社に残ったものの鉄道以外の業務に就いた人。鉄道が好きで国鉄に入った彼らは、誇りを持って働いていた鉄道現場を去ることが何よりもつらかったと語る。国鉄が分割民営化してから、早いもので21年になる。つまり今年成人した若者は、国鉄時代をまったく知らないということだ。
▼映画の背景にあるアルゼンチンの社会事情
日本はその後のバブル景気もあって、人員整理の対象となった職員の再就職先はある程度確保された。しかしアルゼンチンが1990年代に国鉄を民営化した時は、経済難のため失業率がおよそ20パーセントと高く、その状況は非常に深刻であった。
アルゼンチン映画『今夜、列車は走る』の冒頭、1人の鉄道員が自殺を図る。ラテンアメリカ諸国は全般的に自殺率は低く、近隣諸国より数値が高いもののアルゼンチンは、国連の統計がある約100か国中で50位程度だ。上位9位と自殺率が高い日本と比べ、アルゼンチンでの自殺は我々の想像以上に深刻さを物語る。
農業と牧畜で繁栄し、20世紀前半に世界有数の富裕国となったアルゼンチン。しかし1950年代以降は軍政と民政を繰り返して政局が安定せず、工業国として伸び悩んで国内産業が停滞してしまう。1982年に対英マルビーナス戦争(フォークランド紛争)を引き起こして敗退し、国家経済をより悪化させた。
国の財政赤字を削減させるため1990年代、インフラやエネルギーなど国の基幹産業が外資に売却され、赤字経営の象徴でもあった鉄道も民営化される。採算のとれない路線が次々と廃止に追い込まれ、8万人にも及ぶ鉄道従業員が失業したと言われる。
▼本作品のトゥオッツォ監督が3月に来日
アルゼンチンの小さな地方都市を舞台に、この映画は鉄道員や家族の物語が描かれている。不採算路線だったこの地方の鉄道が廃止となり、従業員たちは皆失業してしまう。再雇用先は確保されず彼らは自力で仕事を探すが、経済不況のため安定した就職先が見つからない。路頭に迷った仲間の1人が、凶悪犯罪に走って事態が硬直。そんな状況を打開するため、元鉄道員の子供たちが行動を起こすという物語だ。
この映画のニコラス・トゥオッツォ監督が今年3月に来日した際、私は直接話を聞くことができた。興味深いのは、この映画はフィクションであるが、実際にあった事例を凝縮して物語にした点だ。監督が元鉄道員たちから聞いた様々な実話が、映画の中に散りばめられている。最後の場面は事実ではないが、「将来に希望を持たせるようなラストシートにした」とトゥオッツォ監督。さらに彼は「国の経済危機によって中流階級が崩壊していく様子を映画で描いた。この危機をどう乗り越えるか、聴衆に投げかけたい」と語る。
アルゼンチン大使館で行われた記者会見。ニコラス・トゥオッツォ監督と
配給会社アクションの比嘉世津子さん
トゥオッツォ監督は1970年生まれと若く、第三世代のケン・ローチとも評される。アルゼンチンは今、ニューシネマブームにあり、ロケが行われたアルゼンチン中西部のサン・ルイスという町は新映画都市としても機能。この映画の技術者や脇役出演者は、映画製作がほとんど初めてだったというサン・ルイスの人たちが参加した。低予算ながらも質が高く、この社会的な題材をうまく描き出している。
【関連情報】
○映画『今夜、列車は走る』公式サイト
4月12日より東京渋谷ユーロスペースにて、5月3日より大阪第七藝術劇場にて公開
http://www.action-inc.co.jp/salida
○配給会社アクションの公式サイト
http://www.action-inc.co.jp/index.ja.html
○ラテン!ラテン!ラテン!
アクション代表の比嘉さんによるブログ。トゥオッツォ監督が来日した時の
様子も紹介されている。
http://vagabunda.ameblo.jp
○田中宇の国際ニュース解説「アルゼンチンの悲劇」2002/01/14
http://www.tanakanews.com/c0114argentina.htm
○社会実情データ図録 自殺率の国際比較
統計101か国中、アルゼンチンは52番目。
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/2770.html
○WHO(英語)人口10万人あたりの自殺者数
http://www.who.int/mental_health/prevention/suicide_rates/en/index.html
○映画『トーク・トゥ・ハー』公式サイト
ペドロ・アルモドバル監督のスペイン映画。『今夜、列車は走る』の
主演俳優ダリオ・グランディネッティは、この映画に出演している。
http://www.gaga.ne.jp/talktoher
○映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』公式サイト
アルゼンチン出身の革命家チェ・ゲバラの青年時代を描いた作品。
『今夜、列車は走る』に出ているメルセデス・モラン、オスカル・アレグレは
この映画に出演。メルセデス・モランはゲバラの母親役を演じている。
http://www.kadokawa-pictures.co.jp/official/m_cycle_diaries
○朝日新聞出版『世界の車窓からDVDブック NO.9アルゼンチン』
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=9242
○日経BPネット 世界のユニークビジネス
「アルゼンチン、非合法ゴミ収集人をゴミの分別に生かす」
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/world/060718_gomi
○国鉄蒲田電車区事件 賃金請求の判例
http://www.liosgr.com/hanrei/03928.html
○そうてつキッズ 保線の仕事
http://sotetsu-kids.jp/job/hosen.html
○トキメック(pdf)「鉄道の安全を支える保線技術」
http://www.tokimec.co.jp/rail/j/tkr105.pdf
【編集部ピックアップ関連情報】
○ITpro 多田正行のCRM Watchdog
「未完の国鉄民営化」 2008/03/10
私は,JRの苦節の民営化プロセスの中でまだ未完のものがあるのではないかと
考え始めている。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20080305/295526/?P=1
○goo映画 「今夜、列車は走る」
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD12346/index.html
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