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麻疹(はしか)流行にみる感染症予防策の教訓

 昨年は東京八王子市などで若い世代を中心に麻疹[ましん](はしか)が流行し、市内の高校や大学が相次いで休校するという事態になった。今年も千葉・茨城南部に相次いで感染者が確認された。千葉県教育委員会が発表したところによると、感染拡大の発端は、5月に千葉市内で開催された柔道大会で、県内の高校・高専の柔道部員29名が集団感染したことにあるという。

 いずれも5月10日、11日に行われた「関東高校柔道大会千葉県予選会」に選手や運営補助員として参加した生徒が感染したものとみられている。この柔道大会のあと、22日から26日にかけ県内の17校でそれぞれ1から6人が麻疹を発症し、その後感染者が続出したという。この流行で3週間にも及ぶ全面休校となった学校もあった。

 麻疹ウイルスは感染性が強く免疫抗体を持っていないヒトが感染者に接触すると約90%が罹患する。しかし、麻疹には予防ワクチンもあり、一度感染すれば二度と罹らないという終生免疫が体内に作られる病気でもある。従来は生後1歳から修学前までに予防接種が行われてきた。

 それなのになぜこのような感染拡大が起こったのか。

 その背景には過去に実施されたMMRワクチンという、麻疹・流行性耳下腺炎・風疹の混合ワクチン(新三種混合ワクチン)による無菌性髄膜炎の発生があった。この髄膜炎の発生率が想定以上に高かったため、副作用を心配して子供に予防接種を受けさせない親が続出したことが原因の一つとして挙げられる。

 もう一つの原因は、ワクチン接種後の効力がほぼ10年とされていることが考えられている。今回の麻疹流行も、ワクチン接種の副作用が問題視された時代に誕生したため予防接種を受けていなかった若い世代に集中している。

 現在では、問題となった流行性耳下腺炎のワクチンを除いたMRワクチン(麻疹・風疹の二種混合)が、改正された予防接種法により2006年の4月から生後1歳から2歳(第1期)と、修学前の1年間(第2期)の2回接種法として定期接種が実施されている。また、同時に国の経過措置として2008年4月から5年間、中学1年と高校3年生に該当する生徒にも定期接種が施行されることになり、この春から実施されている。

 さて話は変わるが、筆者は10年ほど前に日本で急増する寄生虫症の背景と医学教育について、藤田紘一郎・東京医科歯科大学教授(当時)に話を聞いたことがある。そのときの藤田氏の話は、大学の医学部では寄生虫学教室がどんどん減っているというものだった。「もう、日本には寄生虫はいなくなったから、もっと今日的な学問を…」というのがその理由だと氏は危機感を募らせていた。

 ところが大学側のもくろみとは裏腹に、海外渡航者の急増やグルメブームの到来で新鮮な魚介類の生食が広まったこと、宅配便や冷凍技術の進歩などで加熱調理せずに食卓にのぼる食材が増えたことなどが寄生虫感染症の増加をもたらしているという背景があったのである。

 ヒトに感染した寄生虫が航空機に乗って世界中を飛び回るという話は、藤田氏の著書「空飛ぶ寄生虫」(講談社文庫)にユーモラスに描かれている。とくに、寄生虫の中にはヒトと「共生」しようとしているものもある、という話には感銘を受けた。

 医学教育の現場でも、本物の寄生虫やその虫卵はプレパラートに封入されたもはや貴重な標本で、生きた検体を医学生が実習で目にすることはまず皆無だ。標本も一人ひとり顕微鏡で覗くほどは行き渡らない。危険な熱帯の原虫やウイルス感染症を診断できる医師が皆無に等しい状況に加え、行き過ぎた日本人の衛生観念が抵抗力の低い、ひ弱な人種を生み出しているのかも知れない。マラリア原虫に感染したヒトの血液標本も写真やスライドで見ただけでは、熱帯熱マラリアの恐ろしさは実感できないだろう。

 寄生虫症ならばヒトからヒトへ直接感染することはまず無いが、今回の麻疹のように感染力の強いウイルスの場合には注意が必要だ。とくにパンデミックが心配されている新型インフルエンザのように、感染症の蔓延を防ぐうえで最も効果的で即効性のあるものは何か。

 それは薬でも医師の治療でもない。自らが感染を予防する知識を持ち実行することである。感染症に立ち向かうには予防に勝る特効薬はない。万が一感染してしまったときも適切な対処法を身に付けていれば、家族を感染から守り、感染者を最小限に食い止めることが可能なのである。

 致命率の高い感染症の流行が国家の盛衰に大きく影響することは、中世ヨーロッパで流行した黒死病(ペスト)を例に出すまでもなく、その予防は国策としても重要である。この観点からも近年流行している麻疹は、予防接種行政の在り方や対策改善の必要性を示唆している。医療従事者はもとより、すべての国民に感染症に対する知識と予防法教育の実施が焦眉の急である。

 


【編集部ピックアップ関連情報】

○MediaSabor  2008/02/11
 「基礎医学を義務教育化したら、どんな効果が予測されるか」
http://mediasabor.jp/2008/02/post_324.html


○松浦晋也のL/D  2008/05/20
 「新型インフルエンザ、5月中旬のまとめ:韓国の亜種同定、欧州で
  プレパンデミック・ワクチンを認可」
 インフルエンザの亜種のことを専門用語で「クレード」と呼ぶ。
 インフルエンザウイルスは突然変異を起こしやすく、次々に亜種が出現する
 性質を持つ。やっかいなのは、それぞれの亜種が抗原が微妙に違うので、
 亜種が異なると別途ワクチンを用意する必要があるということだ。それでも
 最近の研究では亜種間で共通の免疫をつける「交差免疫」という現象が見つかり、
 プレパンデミック・ワクチンに応用されている。
http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2008/05/5_ccef.html

 

 


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