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ロングテールなんて大嘘だ---突如巻き起こったマーケティング論争

事の起こりはハーバードビジネスレビュー8月号に掲載された記事だった。ハーバード大学ビジネススクール教授、アニタ・エルバースが、今や完全にサイバーコマースのバックボーンとなっている“ロングテール論” を、リサーチに基づいた数字を挙げて反駁し、徹底的にやっつけたのだ。記事が発表されるや、米国のビジネスシーンや学界を二分したロングテール論争が巻き起こり、現在も続いている。

ロングテールという言葉に馴染みがない人のために簡単に説明しておこう。 ロングテールとはオンラインリテールにおける販売パターンの事だ。在庫という物理的な制約を受けないオンライン販売では、殆ど売れない不人気商品もふくめ、品揃えを実質的に無制限に広げる事ができる。

そして、全商品の80%を占める不人気商品の生む小さな利益の総和は、20%の売れ筋商品が上げる利益を上回る。図1の、縦軸の販売量に沿って高くなっている部分が売れ筋商品、後に続く平坦な部分があまり売れない“ロングテール商品”である。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

売れない商品の部分が長い尻尾のように続く事からこの名がある。ロングテールの好例とされるアマゾンを例に取ってみよう。アマゾンでは知名度がゼロに近い本でも絶版でない限り注文する事が可能だ。アマゾンのビジネスモデルを分析してみると、ハリー・ポッターのような売れ筋の商品が叩き出すメガセールス部分よりも、殆ど売れないマイナー本のセールスの合計、つまりロングテール部分の総和の方が大きな利益を生み出している。

しかるにオンラインのマーケティングは、できるだけ多くの品揃えをしてロングテール部分からの利益を引き出すのが正しい、というのがロングテールの骨子である。2004年、ITマガジン“Wired”の編集長クリス・アンダーソンによって提唱されるや、インターネット時代のマーケティング理論として過剰なほど熱狂的に迎えられた。ビジネスウィークは“2004年最大のアイデア”と絶賛し、アンダーソンの著書“The Long Tail”はビジネススクールの副読本の定番となった。

エルバースは、磐石に見えるロングテール理論に真っ向から切り込んだ。米国で著名な音楽サイト、ラプソディーと、オーストラリアのビデオレンタルサイト、クイックフリックスを例にとり細かい分析を加えているが、結果はアンダーソンの論理を真っ向から否定するものだった。

クイックフリックスでは人気の上位10%のDVDがレンタルの48%を占め、1%に過ぎない超メジャー作品は総レンタル数の18%となっていた。ラプソディーの数字は更に顕著だ。 全楽曲の10%のメジャーヒットが全ダウンロードの78%を占め、更にダウンロードの32%は全体の1%に過ぎないメガヒットナンバーだった。ラプソディーには500万曲のストックがあるが、尻尾の部分は殆ど利益を生み出していない事になる。

エルバースはロングテール部分の購買パターンを分析し、ロングテール商品はあくまでメガヒット商品のオマケ的な存在に過ぎないとしている。ロングテール商品を買うのはかなりマニアックな人々で、いわゆるヘビーユーザーと言われる層だ。これらの人々はロングテール商品と同時に、誰もが買うヒット商品も必ず買っている。

そして、商品満足度で言えば、ヒット作品の方がロングテール作品よりも高い評価を得ている。一例を挙げよう。ダヴィンチ・コードを買った人のうち何人かが、ダン・ブラウンの過去の作品に興味を持ち“天使と悪魔”も買ってみる。しかし満足度はやはりダヴィンチ・コードの方が高い、というわけだ。結局、ロングテール部分に宝が埋もれているというのは幻想であり、“良いものは良く売れる”という古典的な法則は普遍である、というのがエルバースの結論だ。

彼女の攻撃は更に続く。2000年から2005年までに販売された5500本のビデオタイトルをランダムに抽出し分析した結果、数本しか売れなかったタイトルの数はここ5年で2倍、まったく売れなかったタイトルは4倍になっている事を発見した。ロングテールが幅を利かすオンラインコマース時代には、これらのマイナー作品こそが利益を生み出している筈なのに。結局、今回の調査では、ロングテールが利益を生む事は殆どないという結論になった。逆に、音楽の場合は、すでに忘れられた曲の著作権をクリアする経費のために赤字にさえなる事があるという。

ではロングテールの効用は嘘っぱちだったのかといえばそうでもない。アマゾンはそのテラ級品揃えで今や小売業界を制覇しているし、iTunesが支持される理由はやはり楽曲の多さである。“あそこに行けば何でもある”という感覚が両者をダントツのメガプレイヤーに押し上げた最大の原因である事は、エルバースも認めている。

しかし、それには途方もない資金力を要する。普通の企業がオンライン販売で大きな利益を生み出したいなら、ロングテールは止めてブロックバスター戦略---大ヒット作品を主力にしたマーケティング---をすべし、というのがエルバースのアドバイスだ。更に、どうしてもロングテールをやるならば次の事に注意すべきだという。

▼ロングテールが利益を生み出すという幻想は捨てろ。ヘビーユーザーをひきつけるための
 方策だと割り切れ。

▼ロングテール部分に金をかけるな。オンライン・ネットワークを使って商品が売れた時に
 だけ経費がかかるようにせよ。在庫を抱えるなど愚の骨頂。

▼ヒット商品購買者にロングテール商品を過度に推薦するな。ユーザーは嫌気がさしてしまう。

▼人々は売れ筋商品に引き寄せられてやってくる。売れ筋商品のプロモーションに力を入れよ。


結局ロングテールはやるな、と言っているだけにも聞こえるが、実はそれがエルバースの真意かも知れない。彼女は論文の最後に、ある出版業者がロングテール戦略を取らず、2冊の超有名作品だけに絞ってプロモーションした結果、多大な利益を上げた例を紹介している。一冊は日本でも知られた小説家、ミッチ・アルボムの新作“For One More Day”、もう一冊はオンラインマーケティングの金字塔となったビジネス書、クリス・アンダーソンの“The Long Tail”だったそうである。

 

Should you invest in the Long Tail? (ロングテールに投資すべきか?)(ハーバードビジネスレビュー8月号)
http://harvardbusinessonline.hbsp.harvard.edu/hbsp/hbr/articles/article.jsp?ml_action=get-article&articleID=R0807H&ml_issueid=BR0807&ml_subscriber=true&pageNumber=1&_requestid=44112

クリス・アンダーソンの反論
http://conversationstarter.hbsp.com/2008/06/challenging_the_long_tail.html

 

【編集部ピックアップ関連情報】

○明日のマーケティング 「ロングテール理論への反論」2008/07/08
 ハーバード・ビジネス・レビュー最新号に、「ロングテール理論から
 クリス・アンダーソンが出した結論は間違っている」という論文が掲載された。
 著者はハーバード・ビジネススクールのアニタ・エルバース准教授。
 「ロングテールに投資すべきか?」というタイトルの論文なのだが、
 これに対して、クリス・アンダーソン自らがブログで短い反論を書き、
 それに対してエルバース准教授がまた反論を書いた。
http://newmktg.typepad.jp/blog/2008/07/post-403d.html


○WIRED VISION 「無料になるもの、無料にならないもの」2008/03/25
 クリス・アンダーソンの次回作のタイトルを知ったとき、ワタシが
 連想したのはポール・クルーグマンがおよそ10年前に書いた
 「Webで勝つには汚い手を」という文章です。ここで俎上に載せ
 られている『ニューエコノミー勝者の条件』を書いたケヴィン・ケリーが
 Wired の創始者であることからの連想でしょう。
http://wiredvision.jp/blog/yomoyomo/200803/200803051000.html


○萌え理論Blog 「ロングテールの死角」 2008/04/25
 リコメンド機能で推薦されてくる書籍は、私の購買履歴を参照しているから、
 確実に私が最も欲しいはずの本である。しかしときには、その保守的な選好に
 退屈するときもある。
http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20080425/p2

 

 


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