Entry

バブル後遺症を克服できぬまま、貧困層と格差の拡大進む 14年後の日本社会考

 日本のバブル経済の崩壊時期は1990年末から1991年初頭にかけてとされる。それが実生活に反映され始めるまでには半年から1年の期間があった。1985年9月のプラザ合意(日米など先進5カ国協調の円高・ドル安への為替調整合意)による「円高不況」から1年あまり後には未曾有の好況感を人々にもたらすようになった。異様なまでの不動産価格の上昇、株価の高騰をはじめ、余剰資金投機によるキャピタルゲインに企業も個人も酔いしれた。

 筆者はバブル崩壊後の「失われた10年」と呼ばれる時期の大半を東南アジアの貧困国フィリピンを拠点に活動し、14年ぶりに昨年帰国した。以下、現代日本にすっかり定着した「貧富と格差拡大」についての所感を長期不在者の視点を織り交ぜつつ綴ってみる。


▼首都圏郊外での暮らしから

 2007年6月に帰国して間もなく、居を構えた首都圏北郊から週末に都心にぶらりと足を運び、上野公園をのぞいてみた。正午ごろだったと思う。木立のなかに目立たぬように設けられた100─150平米の規模と思われる「テント村」に遭遇した。「ああこれが、野宿者のテント群だ。大阪城内の公園などでは地元自治体によるテント強制撤収騒動が大々的に報じられていたが、東京都は彼らを追い出さなかったのか」。こんな疑問を抱きつつ、公園内の管理事務所を訪れた。

 「昼間の滞在は許さず、日没後テントに戻ることは黙認している。冬季には毛布類、暖房器具、食料の差し入れなど都は支援活動も行っている。詳しいことは東京都東部公園緑地事務所で聞いて欲しい」。週末当番の職員はこのように説明した。確かに公園一帯が夕闇に包まれ始めると、三々五々、「テント村住人」らしき男性らが戻って来た。闇の中、顔つきはほとんど確認できない。仲間同士で固まり、ベンチでひそひそ話を始めていた。

 大半が40─60歳代に思えた。「暗く、苦い過去を抱え、心に深い傷を負い、生活に窮している彼らに心を開いてもらい、話を聞くには並大抵なことではない」と考えて、その日は彼らと一切接触せずに公園を後にした。その後の取材にはかなりの時間を必要とした。その結果は後述する。

 それから半年。1994年に離日し、米国中西部に2年間滞在した後、フィリピンに居住していたため14年ぶりの日本での冬が訪れた。いつも利用するJR駅出入り口に寝袋に毛布だけを掛けて横たわる男性の高齢者ホームレスが現れた。原油高騰の中、暮れも押し迫り日に日に寒さは厳しさが増してきた。毛布・寝袋の周辺には、生活必需品が詰め込まれたと思わしき、スーパーマーケット、コンビニで入手できるプラスティック製の買い物袋多数が無造作に置かれている。最も寒い2月になっても男性がその場を立ち去る気配はなかった。

 たまりかねて、駅出入口から20メートルほど先にある交番の警官に「地元自治体は保護施設に収容しようとしないのか」と質問してみた。「市当局の勧めを頑なに拒否するのだから打つ手なしと聞いている。食料は支援者らしき人たちが差し入れているようだ」との返答だった。春の訪れとともにいつしか男性は姿を消した。

 太平洋戦争敗戦から3年後に生を受けた筆者は「貧しかった日本」を鮮明に記憶している。昭和30年代の初めくらいまでは、乞食、浮浪者、白衣をまとった傷痍軍人の群れは街の日常風景の中に溶け込んでいた。しかし、その後の高度成長と「豊かな社会」の到来とともに、街頭から生活困窮者は姿を消した。バブル崩壊から間もなく20年。日本の街頭や公園に再び浮浪者が目立ってきた。この間、一体何が起きたのか。


▼野宿者の声を聞いた

 07年6月以来、上野公園の「テント村」周辺には1年間に10回近く出向いた。ようやく同じ昭和23年生まれの男性(59歳)がホームレスになった経緯について口を開いてくれた。栃木県で生まれ育ち、地元の高校を卒業後上京した。大田区の金属加工の中堅企業に就職したが、長続きしなかった。油まみれの生活がいやで以降、トラック運転手などサービス業関連の職を転々とした。ホームレスの生活を始めて7年あまりという。

 野宿を始める直前は都内の介護老人ホームでデイサービスの運転手をしていた。月収は手取りで20万円程度あった。家族は再婚した妻とその連れ子の女子中学生の3人暮らしだった。躓きの源はバブル期(1986年━1991年)にあった。葛飾区の持ち家を担保に金融機関に数千万円の融資を受けて、株取引にのめりこんだ。「地価、株価は限りなく上昇すると本気で思い込んだ。夜遊び、ギャンブルと金遣いも荒くなり、前妻との仲は次第に険悪となった。バブルの崩壊で、すべてが泡と消えてしまった」と力なく語った。

 マイホームを失うと同時に、妻と離別、息子2人とも別居した。それでも下の息子が高校を卒業するまでの5年間はタクシー運転手などをしながら仕送りを続けた。不景気で収入は不足し、仕方なく借り易い消費者金融に手を出した。9年前に再婚した時には借金は口に出せないほどの額に達しており、再婚した妻とは借金を隠して結婚した。しかし、結婚後半年ももたずに金融業者から自宅に電話があり、再婚した妻に知られた。「だまされた」と罵倒する妻との関係は破綻へと向かった。返済のための借金を重ねる文字通りの自転車操業だった。金額は明かさなかったものの、借金先は最終的には消費者金融6社、信販会社5社に達しており、「典型的な多重債務者だった」と告白した。

 「再婚した妻とのいさかいは2年以上続いた。2回目の離婚となる夫婦関係の破綻と借金返済に汲々とした生活に耐えられず、自殺を真剣に考えたが、できなかった。借金はすべて自分名義なので自分がいなくなれば取り立てもなくなると思い、平成13年5月に家を出た。借金の取立てから逃げられても、日雇い仕事でその日暮らしするホームレスの生活はあまりにつらい。しかし、定住して住民票を作れば借金取りに追い立てられる生活が始まる。これもできない」。そのやつれ果てた風貌は実年齢より、10歳以上は老けて見えた。


▼過剰リストラと非正規雇用の増大

 筆者は日本の通信社経済部記者をしていた時分から、「日本企業狼少年説」を吹聴している。日本型経営の特質のひとつとして危機感を過剰に煽ることを挙げることができる。大手企業のプレスリリースには「生き残りを賭けて」との悲壮感漂う表現が頻繁に出てくる。同業他社との競争に勝ち抜く、あるいは少なくとも横並びで存続するため、従業員には常に「狼がやってくる(=会社は存続の瀬戸際に追い込まれるかもしれない)」と危機意識を持たせる傾向が強い。また、それが日本企業の類まれな活力になっていることも確かだ。

 イソップ童話の中の 「狼少年(羊飼いと狼)」の物語では、「狼が来たぞー」との叫びを繰り返す少年を村人は誰も信じなくなり、最後には本当に狼がやってきても誰も駆けつけてくれず、少年は狼に殺されてしまう。しかし、日本企業の村人(従業員)は経営者(羊飼いの少年)の狼襲来を告げる声を決して無視しない。

 バブル期の金融機関は担保価値を適正評価することができなくなり、同業他社に遅れてならないと無謀な貸付に走った末、莫大な不良債権の山を築いた。製造業の財務部門もしかり。本業そっちのけで、内外の株、金融商品、不動産などへの余資運用(投機)に血道を上げた。いざバブルがはじけると、今度は業種を問わず、一転して会社の生き残りを賭けてリストラの大号令を発した。

 「コスト削減徹底」の叫びは、大量の人員整理につながった。とにかく過剰すぎた。それに拍車をかけたのは1986年に施行された労働者人材派遣法である。「同一労働・同一賃金」の原則は過去のものとされ、より廉価で不安定な労働力の獲得に向かい人件費を大幅に削減した。

 人材派遣業の興隆と共に、業務の請負業者と称しながら、実質的にはパートなど非正規雇用者の人材派遣事業を営む企業が雨後の筍のように生まれた。これが不安定で廉価な非正規雇用者を大量に輩出し続けている。総務省統計局のデータによると、非正規雇用者の比率は2006年には33.0%となり、2000年比で約7%上昇。今や雇用者の3分の1が非正規雇用となった。男女別では女性労働者の約53%がパート労働者である。

 バブル崩壊で資産をなくし、逆に多重債務に陥った人々にとって、このような雇用形態の大変革により、債務を返済しつつ「最低限の健康で文化的な」生活を送ることは不可能となった。今後、ホームレスは増えることはあっても減ることはないとの悲観的見方も多い。過剰なリストラと不安定雇用の増大は結果として、国内総生産(GDP)の「主力」である個人消費を縮小させ、内需の拡大を阻んでいる。過剰リストラ、非正規雇用者増大は「ブーメラン効果」となり、日本の景況の阻害要因と化してしまっているのではなかろうか。

 

【編集部ピックアップ関連情報】

○MediaSabor  2007/08/27
 「格差社会」「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」という社会現象を生んだ
 人材派遣業法改正
http://mediasabor.jp/2007/08/post_193.html


○ひよっこ(元)SEの感想文日記
 「格差社会ニッポンで働くということ/熊沢誠」 2008/07/04
 日本では、労働者の賃金は、ひとえに、それぞれの企業の「支払能力」が
 要因となる、ということ。当たり前だと思っていたんだけど・・・ほかの
 国では違う、ということが書いてあって、驚いた。国によっても差はある
 ものの、外国では「同一賃金・同一労働」の思想が根付いていて、
 それぞれの「会社」単位以外でも組合が機能している、と。「万国の労働者が
 手放していない賃金決定の規範性とは、企業の枠を超えた技能別・職種別賃金
 の標準化、同じような仕事をする労働者の賃金はどこで働いていても同じ水準
 であるべきだということです」
http://laughlaughl.blog65.fc2.com/blog-entry-1349.html


○オルタナティヴ・デイジーチェイン・アラウンド・ザ・ワールド
 雨宮処凛、萱野稔人/「生きづらさ」について 2008/09/07
 このような状況は、なにか大きなムーヴメントの最初のうねりを感じさせる。
 裏を返せば、既に右や左、あるいはプレカリアートといった単一のクラスタ
 だけでどうにかなる事態ではないという危機感の表れなのかもしれない。
 ひとつだけ指摘すれば、ここからは抜け落ちているが、外国人研修生問題を
 はじめとした、グローバル化した労働市場への対応も必要だろうとは思う
 (単なるポピュリズムに回収されないためにも)。しかしいずれにせよ、
 こういった潮流は、さまざまな文脈の垣根を越えて人びとが連帯する、
 今後に向けた生存条件とアイデンティティ不安の緩和に向けた動きの
 発生を匂わせる。
http://d.hatena.ne.jp/foxintheforest/20080907/1220791729


○Business Media 誠:「ネットカフェ難民が“住居”を失った理由」2008/05/26
 日雇い労働者が多い大阪あいりん地区に、ネットカフェ難民の若者が
 増えているという。なぜ彼らは住居を失ったのか? また住居を確保
 できない理由は何だろうか? NPO釜ケ崎支援機構調べ。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0805/26/news026.html


○404 Blog Not Found  2008/03/31
 「希望は、戦争」? こちらをどうぞ! - 書評- ルポ 貧困大国アメリカ
 かの国には質的に日本とは決定的に異なる貧困層事情が一つある。
 軍と戦争会社である。
 派遣社員の待遇が正社員よりもひどいのは両国とも共通しているが、
 しかし日本の派遣社員の派遣先に、海外というのは滅多にない。
 ましてや戦地ともなれば。グッドウィルやフルキャストが「ひどい」なら、
 トラック運転手をイラク派遣するKBRは何と評したらいいのだろう。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51026764.html


○ガテン系連帯☆ブログ 『世界』2008年10月号、お読み下さい! 2008/09/11
 ガテン系連帯の木下武男さんが以下のようなコメントを出しています
 (岩波書店HPより)。
 若者の雇用不安と貧困化は深刻である。明日の暮らしもわからない若者や、
 家族形成の不可能な若者、技能習得の機会を失われた若者、このような若者が
 急増していることは、日本の将来をきわめて危ういものにしている。
http://gatenkei2006.blog81.fc2.com/blog-entry-192.html

 

 


  • いただいたトラックバックは、編集部が内容を確認した上で掲載いたしますので、多少、時間がかかる場合があることをご了承ください。
    記事と全く関連性のないもの、明らかな誹謗中傷とおぼしきもの等につきましては掲載いたしません。公序良俗に反するサイトからの発信と判断された場合も同様です。
  • 本文中でトラックバック先記事のURLを記載していないブログからのトラックバックは無効とさせていただきます。トラックバックをされる際は、必ず該当のMediaSabor記事URLをエントリー中にご記載ください。
  • 外部からアクセスできない企業内ネットワークのイントラネット内などからのトラックバックは禁止とします。
  • トラックバックとして表示されている文章及び、リンクされているWebページは、この記事にリンクしている第三者が作成したものです。
    内容や安全性について株式会社メディアサボールでは一切の責任を負いませんのでご了承ください。
トラックバックURL
http://mediasabor.jp/mt/mt-tb.cgi/825