Entry

なぜ自殺者は増え続けるのか━雇用不安と窮乏感の病理 14年後の日本考(2)

 日本の自殺者は1999年に初めて3万人を突破し、2003年には3万4千人にまで増加、昨年も3万3千人を記録している。1年間に10万人当たり25人が自ら命を絶ったことになる。いわゆる「金持ち国クラブ」とされるG7(主要先進7カ国)ではダントツの1位である。ドイツの2倍、米国の2.5倍、イギリス、イタリアの3倍…。こんなことを書いていると、読者から「そんなことも知らなかったのか。日本では10年も前から大問題になっている」と抗議されそうだ。この旧聞に属する自殺者急増問題について、その根本原因としてバブル経済崩壊後の過剰なリストラ、雇用構造の大変化があったことを念頭に入れつつ、前回と同様、「日本長期不在者」の視点を生かしながら論じてみる。


▼通勤電車の乱れ

 「このところ朝の通勤がさらに苦痛になった。飛び込み自殺が多くて、電車のダイヤは大混乱、すし詰め状態は極限。本当に疲れる。同じ50代の男性が自殺者の過半数というのも身につまされる」。定年を2年後に控えた、かつて勤務した会社の元同僚がため息混じりに語った。

 警察庁のまとめによると、07年の自殺者は03年に次ぎ、前年比938人増の3万3093人と最悪の結果となった。年代別では50代がトップ、次いで60歳以上、40代となっている。つまり、このことから働き盛りの男性を自殺へと追い詰めている現代日本の社会状況が浮き彫りになってくる。

 「仕事への責任感」「職場での生きがい追求」「会社・組織への忠誠」の度合いにおいて、日本はまだまだ世界でも類をみない国だけに、元々、最もストレスにさらされやすい中高年男性の自殺率は他国に比べて高かった。だが、その率は1995年くらいから急上昇し、5年間でほぼ倍増した。労働問題の専門家は「バブル経済崩壊後のリストラ、失業急増、再就職難が決定的要因だ」と異口同音に解説している。

 1970年代から80年代にかけてメディアを賑わした過労死問題は、1990年代半ば以降は数十年間捧げ続けてきた会社との離別、あるいはそれへの不安に起因する自殺問題へと転換した。どちらの問題も、根は同じ。会社人間を輩出し続け、日本社会の活力の源といえる「生真面目」、「滅私奉公」、「粉骨砕身」等々の性向のマイナス面が噴出したと言える。ラテン系諸国の人々に見られるような「家族と生活を楽しむのが一番大切」「皆で助け合えば何とかなるさ」といった類の楽観主義とは対極にある日本人の心情の物悲しさを改めて痛感する。

 通勤途上の飛び込み自殺件数はJR東日本で過去五年間に449件。年平均で90件となる。一方、JR西日本の場合、昨年は同東日本とほぼ同数の年間85件に上った。JR全社で年合計300件以上、さらに公営地下鉄、全国の私鉄での発生件数を仮に同数としてみると、1年間の駅ホーム、踏切での飛び込み自殺は一日に2件は発生していることになる。就業者が集中し、鉄道網の発達で群を抜いている首都圏で1日平均3─4件起きても何ら不自然ではない。

 鉄道会社が「人身事故が発生しました」と利用客に知らせる飛び込み自殺では、遺族に支払い不能なほどの高額な損害賠償を求めるケースが少なくない。その死の代償はあまりにも大きい。分別盛りのはずの40代─60代がなぜ分別を失ってしまい電車に身を投げてしまうのか。自殺分析に取り組んでいる精神科医グループのひとりは「自殺志願者は当然、重篤な鬱状態にある。それでも中高年男性は仕事で身動きできず、来院者はいまだに患者全体の僅か4%程度と推定している。つまり大半の患者が専門医の治療も投薬も受けず、自己喪失状態に陥ってしまい、死を選んでいるのが実情だ」と眼に涙を滲ませて語った。


▼貧困感覚の格差

 繰り返すが、14年間も長期不在して日本に帰国してみて、貧富の格差拡大を実感した。ある労働経済学者は「1999年の労働者派遣法改正で非正規雇用が大量に導入され、2003年からは製造業にも適用された。これで97年から06年の10年間に500万人も正規雇用者が非正規雇用者に置き換えられる、入れ替え現象が起きた。こんなことは世界恐慌や戦時下ならともかく平時にはありえなかった」と語っている。いわゆる「失われた10年」は雇用構造の大変革の時代だったのであり、失業保険、健康保険の掛け金、厚生年金の会社一部負担をはじめ、労働者の諸権利が根こそぎ「剥奪された10年」だったのである。

 いわゆる米国発の新自由主義(ネオリベラリズム)は欧州にも浸透した。福祉先進国のイギリス、ドイツなどでも近年「社会福祉国家の見直し」が実施され、大議論となっている。それでも日本の社会福祉ははるかに立ち遅れている。「おにぎり食べたい」と書き残した中年男性の餓死事件に象徴される生活保護の打ち切りをはじめ、社会保障のセーフティネットがずたずたになった感がある。数ヶ月前、ロンドンに住む日本人女性の元全国紙記者(今はフリーランス)が「年金生活の主人(英国人、61歳)が私の取材費を賄ってくれる」とのメールを寄こした。日本では考えられないことである。

 しかし、筆者のように貧困国フィリピンに10年以上暮らし、「貧困の大海原」といわれる僻地農村部の生活実態調査に5年も従事した身には、日本の「年収300万円以下の低所得者層」の生活に“貧しさ”は感じない。実際、自分がその低所得者層に属しているので自信を持って言える。国民の圧倒的多数が貧困層に属するフィリピンの僻地農村での生活は、100年も前の日本の水呑み百姓と蔑まされた零細小作農の暮らしぶりを想像すればよい。米作り農家が米飯すら口にできず、日本の「粟、ヒエ」に代わって畦で栽培した「白トウモロコシ」を主食に、ココナツ油で揚げた塩漬けの小魚数匹を大家族が手づかみにして食すことがほとんどの日々である。

 ここで「貧困と自殺率」に言及してみる。外食を止めれば、一日2千円以上を自宅での食費に充当できる日本の貧困層の食卓は「実に豊か」とも言える。貧困感覚とは実に相対的なのである。これを証明してくれるかのように、ある社会学者が実に的確な分析をしている。つまり、「生きることに最大の関心を向ける、経済的困窮度があまりに高い国では自殺率は低い。経済発展途上の、チャンスに満ちた国も然り。経済的豊かさを一度体験した後、深刻な不況や失業の渦中に身を投じ、富裕層の生活を見ることを通じて、『自分は疎外されたと絶望感を抱く』人が増えると自殺率は急上昇する」と記している。

 まさにバブル崩壊後の日本が上記3番目のケースに該当する。自殺率の急上昇がそれを証明している。ちなみに、日本の高度成長期(1960─1975)の自殺率は10万人当たり15人前後。ところが、バブル崩壊による雇用構造の大変動が本格化した1995年から2000年の間に同17人から25人に急上昇した。日本人はまだまだ内向きの傾向が強い。途上国の実情をもっと内側から理解できれば、十分に幸福感を覚えて暮らせる日本なのに、日本の人々には内向きな「世間並みの暮らし」が最も重要なのである。日本の人材採用関連広告には「年収●千万円」の文字が踊っている。日本人勤労者の平均年収を下回る生活をしていれば果たして「低所得層」なのか。もっと視野を広げ、気持ちを楽に…と声を掛けたい。


▼雇用伝統の破壊

 簡潔に暫定的な結論を記してみる。今日の日本の社会病理は、戦後の高度経済成長を支えた「三種の神器」の崩壊に大きく起因しているように思えてならない。「三種の神器」とは、いうまでもなく終身雇用、年功序列、企業内組合である。特に、前の2つが日本の従業員の心の安定源であったからだ。先輩・後輩の厳しい序列、このシニオリティ(年功制度)がもたらすさまざまな職場内でのいじめ(今風に言えばハラスメント)、長い残業時間を強いられても、「忠実に働き続ければ、自分もやがてシニアな立場に立てる。会社の業績さえ安定していれば、収入、地位もさらに上がって定年まで働ける」との確信がどれほど人々の心を癒し、和ませたことであろう。

 グローバリズムはこれを根底から崩してしまった。1980年代から本格化した主要企業の多国籍化は、その傘下の系列企業にこぞって海外進出を促した。製造業の空洞化、サービス産業や3K労働への外国人労働者の大量進出が進んだ。これを背景に、1995年に当時の経団連は「就業者の3分の2は非正規雇用に変える」との方針を打ち出し、戦後日本を支えた伝統的雇用形態を根本から変質させたのである。これも旧聞に属するが、今年のビックニュースのひとつである秋葉原無差別殺人事件も雇用の不安定化が生んだ典型的な社会病理現象のひとつと言えよう。

 地球上の国境という垣根をほぼ除去した半面、繰り返されるグローバルな金融危機をはじめ、経済のグローバリゼーションの功罪は実に大きい。この「罪=病理」の処方箋については軽々に論じ得るものではない。どんなに薄給であり、過酷な雇用形態であろうと、失業と絶対的貧困に苦しむ途上国の人々に多国籍企業が大量の雇用を創出したことは紛れもない事実である。国籍を超えて世界規模の競争にさらされ、安価な労働力を求めてグローバルに動く多国籍企業はその出自=「母国」の雇用、経済に取り返しのつかない暗い影を落としてしまった。規制緩和の行き過ぎへの反省は確実に胎動を始めていると信じたい。

 

【編集部ピックアップ関連情報】

○メディアサボール 2008/09/15
 「バブル後遺症を克服できぬまま、
  貧困層と格差の拡大進む 14年後の日本社会考」
http://mediasabor.jp/2008/09/14.html


○ニュース・ワーカー2  2008/08/15
 読書:「反貧困 『すべり台社会』からの脱出」(湯浅誠 岩波新書)
 第3章「貧困は自己責任なのか」で著者は「貧困の実態を社会的に共有する
 ことは、しかし貧困問題にとって最も難しい。問題や実態がつかみにくい
 という『見えにくさ』こそが、貧困の最大の特徴だからだ」とした上で
 「姿が見えない、実態が見えない、そして問題が見えない。そのことが、
 自己責任論を許し、それゆえにより一層社会から貧困を見えにくくし、
 それがまた自己責任論を誘発する、という悪循環を生んでいる。
http://newswork2.exblog.jp/8449148/


○喜八ログ NPO「もやい」がピンチ! 2008/10/07
 生活困窮者をサポートするNPO「もやい」が窮地に立たされています。
 これまで「もやい」の活動を後援してきた不動産会社が
 米国サブプライムローン破綻の余波により破産したため、活動資金が大幅に
 少なくなってしまうのです。
http://kihachin.net/klog/archives/2008/10/moyai_kiki.html


○世界の片隅でニュースを読む 『蟹工船』ブームという不幸 2008/06/08
 本当に「氷河期世代」でブームになっているとすれば、あまりにも悲痛である。
 労働法制と言えば工場法くらいしかなく、労働運動は治安警察法や治安維持法
 などで厳しく制限され、労働争議の鎮圧に軍隊が出動するような『蟹工船』の
 時代と、労働基準法も労働組合法もある現在の労働環境が同じであるというのは、
 いかにこの国の労働行政や労働運動が貧弱であるかを実証しているようなものだ。
http://sekakata.exblog.jp/7190837/


○雑種路線でいこう 2008/06/29
 「誰が蟹工船を買っているのか」
 『蟹工船』とか『ロスジェネ』って誰が買ってるんだろう。もろガテン系なら
 読まないと思う訳ですよ。そこそこインテリで日常的に活字とか読むけど
 運悪く非正規雇用層に落ちてしまって、そこに社会矛盾を感じている
 インテリ非正規雇用層・ポスドクやら、僕のようにロスジェネで運悪ければ
 そういう目に遭っていただろうなという問題意識を持っている層かな。
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20080629/who


○女。京大生の日記。 2008/06/23
 ワーキングプアは現代の『蟹工船』?!--グローバル化との関連—
 今、『蟹工船』が売れる理由に、ワーキングプア、フリーター、
 非正規雇用者の境遇が蟹工船の労働者と大変類似している点が指摘
 されている。このひそかなる蟹工船ブームに、現代人が、80年前の
 世界と同じリアリティを現代感じざるをえない状況が日本に到来した
 のだという兆しを見て取ることが出来る。1929年と2008年の共通点、
 歴史の行方、非常に気になるところだ。
http://d.hatena.ne.jp/iammg/20080623/1214159474

 

 


  • いただいたトラックバックは、編集部が内容を確認した上で掲載いたしますので、多少、時間がかかる場合があることをご了承ください。
    記事と全く関連性のないもの、明らかな誹謗中傷とおぼしきもの等につきましては掲載いたしません。公序良俗に反するサイトからの発信と判断された場合も同様です。
  • 本文中でトラックバック先記事のURLを記載していないブログからのトラックバックは無効とさせていただきます。トラックバックをされる際は、必ず該当のMediaSabor記事URLをエントリー中にご記載ください。
  • 外部からアクセスできない企業内ネットワークのイントラネット内などからのトラックバックは禁止とします。
  • トラックバックとして表示されている文章及び、リンクされているWebページは、この記事にリンクしている第三者が作成したものです。
    内容や安全性について株式会社メディアサボールでは一切の責任を負いませんのでご了承ください。
トラックバックURL
http://mediasabor.jp/mt/mt-tb.cgi/856
読書:「反貧困 『すべり台社会』からの脱出」(湯浅誠 岩波新書) 2008年10月13日 20:45
 ことし4月に刊行されたときから早く読みたいと思いながら、先日ようやく読み終えました。著者の湯浅誠さ...