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“グーグルは俺たちを堕落させる?”---ある記事が米国社会に与えたインパクト

“かつては長い物語小説や、議論の紆余曲折を楽しんだりしたもんだ。散文小説に何時間も没頭するなんて事もザラだった。今はもう駄目だ。2,3ページ進んだらもう集中力が続かない。すぐにソワソワし始める。(中略)何が原因かは分かっている。ここ10年以上、インターネットで仕事をし続けてきたからだ”

テクノロジーライターとして著名なニコラス・カーの“告発文”はこう始まっている。後に続くのは、Eメール、グーグル、トゥイッターといった現代の情報システムを支えるテクノロジーへの呪詛の言葉だ。

カーの主張をまとめるとこうなる。“インターネットのテクノロジー、特に検索機能のおかげで情報を安直に手に入れられるようになった。そのため、長い文献を読んで情報を集めるような地道な努力は消えつつある。また、Eメールやトゥイッターのような情報ツールは、細かい描写はいっさい省き、情報のコアだけをあっさり送るだけの存在だ。こうしたものにすっかり慣れきった我々は、かつてのように長い文章を読んだり、長い間何かに集中したりする事が苦手になってしまった。インターネットのせいで我々の脳みその回路は変えられつつあるのだ。” 

アトランティック・マンスリーに発表されたカーの記事はネットには掲載されていないが、多くの評論家がカーの意見を論評していて、これらはネット上で山ほど見つけられる。参考までに、ニューヨークタイムズのデイモン・ダーリンによる記事を文末に示しておく。

カーの主張には、いくつか思い当たる節がある。日々我々に送られてくるメッセージの殆どは、せいぜい2,3行の内容で、大した集中力を必要としない。(インターネット時代、これが美徳とされている)調べ物をする時、現代人ならまずグーグル、ウィキペディアに言葉をぶち込んで見るだろう。その答えもせいぜい200ワード(原稿用紙一枚)程度。ネット上に載っている興味深い記事もせいぜい多くて原稿用紙5枚くらいだ(これさえも集中力が続かない人は多い)。長い時間をかけて長文を読む必要は殆どない。こうした環境に慣れてしまえば、長時間、小説に没入できる方が稀だろう。

自分は小説も読むし長い記事にも目を通す、そんな心配は杞憂だよ、という方は、若い世代の事を考えて見てほしい。現在20歳以下の殆どは、小学校時代からずっとネットにへばりついていて、本など殆ど読まない。彼らの集中力が上の世代と同じであるという主張の方が無理がある。

カーの記事に接する2ヶ月ほど前、ロサンゼルス市教育委員会の前理事、ステファン・マーグル博士氏から興味深い話を聞いた。マーグル博士はかつて教育現場へのコンピュータ導入についての調査を行なっておられたが、コンピュータを利用した学習には懐疑的だった。その理由はカーの意見と殆ど同じ、以下がその要約である。

米国の大学ではインターネットによるリサーチを奨励しているが、結果として教科書にかかる比重が軽くなり、一つの知識を体系的に学ぶ事が難しくなっている。その結果、最近はしっかりと筋の通った知識を持つ学生が少なくなった。その理由は明らかで、インターネットを利用した検索により、ダイレクトに必要な情報のみを手に入れられるようになったからだ。ネットが存在しない頃の学生は、関連の本を集めて読み漁ることによって一つの知識体系を作り上げる必要があった。一例を挙げれば、報道の自由(freedom of press)の意味を知るために、かつては米国憲法の体系に触れる機会があったが、今ではウィキペディアで単語を入力すれば簡単に用が足りる。その代わり、周辺知識に接する機会もない。昔に比べてはるかに効率的だが、統一性のある知識を身につけることは困難になっていくばかりだ…。

マーグル博士の話を聞いて以来、心の中でわだかまっていたモヤモヤが、カーの記事で一気に形になった。一つの分野を体系的に理解するには一見不要と思われる情報も含め、雑多に知識を詰め込んで脳内に一種のカオスを作り出す必要がある。学習が進むに従ってカオスに一つの秩序がもたらされ、体系的な理解が可能になる。

情報のカオスに秩序をもたらす、と聞いて何かを思い出さないだろうか。そう現代の三種の神器の一つ、グーグルである。(あとの二つは適当に考えて欲しい)革命的な情報ツール、グーグルは、学習に必要な脳内カオスとそれに秩序をもたらそうという努力を、そっくりそのまま肩代わりしてくれているのだ。これをありがたい事と見るべきか、恐ろしいワナと見るべきか。

私事で恐縮だが、身に覚えのある行為を告白しよう。あらゆる論文は自分の論旨を補強するために、他の学者の理論を援用する。インターネット以前の研究者は、このために関連の著作を何冊か読み、現在の学派の状況を概観し、その中から援用に使えそうな論文を読破して必要部分を探し出していた。

以下は落ちこぼれ研究者の懺悔でもある。まず、大学のデータベースにアクセスする。英語の論文は殆ど網羅されている膨大なものだ。検索を使って自分の論旨に沿った情報がありそうな論文タイトルを探し出す。数千項目出てくる事もザラだが、あせる必要はない。その中から論文に援用可能な内容を含んでいそうなタイトルをすべてピックアップする。さらに、それらに検索をかける。必要としている内容がよほど特殊なものでない限り、それらしい一文が見つかる。それを自分の論文にコピペし、サイテーションをつけて一丁あがり。もちろんそんな薄っぺらな内容ではすぐに論破されて終わりだが、論旨を練る時間よりも情報検索をしている時間のほうが長いのは言い逃れのできない事実である。

先週、カフェテリアで社会システム論を専門とする助手に会った時、カーの記事と脳内カオスの話をして見た。“なかなか面白いねえ”変人だが切れ者、といったタイプの典型である彼は、大して面白くなさそうに言った。

“しかし、道具というのは人間の思考の方法を変えるんだ。今まであった能力が無くなるかわり、新しい能力が得られる訳さ。今の子供の頭の切り替えの速さは驚くべきものだよ。あと10年もすれば、インターネット時代の思考法を持ったやつらが学問の世界を変えるのさ。”

なるほどそう言われればそうかもしれん、と優柔不断な私は思ってしまう。“時代の変わり目にはオールドタイマー(過去に固執する世代)があれこれ言うもんさ”カーと彼のどちらが正しいのか、凡人の私には見当もつかないのである。


NYタイムズ記事 (byデイモン・ダーリン)
http://www.nytimes.com/2008/09/21/technology/21ping.html?_r=2&ei=5070&emc=eta1&oref=slogin&oref=slogin

 

【編集部ピックアップ関連情報】

○メディアサボール 2008/06/25
 「ネットは能無しを大量生産している」 市民メディア、ブログが台頭する
  ジャーナリズムの行く末は?
http://mediasabor.jp/2008/06/post_418.html


○池田信夫blog  2008/06/20
 「グーグルでバカになる?」
 インターネットで、かつて一部の人にしか入手できなかった情報が多くの人に
 共有されるようになったことは、大きな進歩だ。しかし記事がページカウント
 で序列化されると、ジャーナリズムが軽視され、新聞社は海外支局を縮小して
 いる。メディアがデータベース化すると、深い思想や芸術は表現しにくくなる。
 それは「コンピュータに知能をもたせて人間に近づける」というグーグルの
 理想とは逆に、人間の知能を平板化してコンピュータに近づけるかもしれない。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/b56745c8f68e8f3498f4d7577de845bf

 

 


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