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味覚を楽しみ食物の鮮度や異物を感知する舌の役割

 前回のこの欄(「自分の身を守る優れた感覚を養う」http://mediasabor.jp/2008/09/post_483.html)で、草木を採取してはその効用や毒性を自ら食して検査したといわれる伝説上の人物「神農」について触れたが、この記録はまさに先人たちが身をもって収集した中毒に関する情報ともいえる。動物が舌先に感じる些細な味覚の変化で食べ物の鮮度や異物の混入を判断していることは、イヌやネコなどの摂食行動をみても理解できる。そこで今回は、味覚を楽しみつつ自分の身を守る役割もしている「舌」に注目してみたい。

 長年にわたり味覚の研究をしてきた石河延貞(宮崎医科大学名誉教授)氏の話によると、人間と他の動物とを比較してみた場合、ヒトの舌にある味を感じる組織「味蕾(みらい)」は、酸、塩、苦、甘の四基本すべてに反応するという性質を持っているが、ネコの舌には甘味を感じる受容器がなく、食品の温かさを感じる受容器もないのだそうだ。つまり、砂糖もネコにとっては砂のような感触しか感じられず、温かくて美味しいという表現はネコには通用しないらしいのである。よくネコ舌といわれる人がいるが、このような人の舌には温受容器が極端に少なく、熱いうちは味覚を楽しめないという、ネコに近い人がいても不思議ではないということであった。

 さて、このような味質に対する感受性は舌の前の方にある味蕾について調べられた結果で、この感受性は草食か肉食かなどの種族間でもかなり異なってくるが、喉に近い舌の後方にあたる舌根部の味蕾は、どの動物でも「苦味」に対する感受性が著しく発達している。石河氏によれば、「哺乳類の味感覚器は主として舌に分布し、舌前2/3野のそれは鼓索神経によって、舌後1/3野は舌咽神経によって支配されている」という。これは何を意味するかというと、食べ物の味を識別したり味の強弱を感じ取ったりする役割は舌の前の方にあるのに対して、苦味に敏感な奥の方の舌は食品の良否を判定し、場合によっては嘔吐反射を起こして有害食品の排除に役立っているということに他ならない。

 前回も触れたが、「自分の身を守る優れた感覚」というのはもともとヒトに備わっていた感覚である。その感覚が少し弱くなってきているのではないか、と思いたくなるような事が、ときどきニュースとして流れる中毒事件なのである。原始時代の生物にとって、単に口は生存のための食物の取り入れ口であり、獲物が有害かどうかさえ選別できれば良かったわけで、現代のようにグルメに浸る余裕はなかった筈である。前述の石河氏が指摘するように、「カエルは視野を横切る昆虫を一瞬の舌突出運動によって捕らえるが、その行動のなかに味を楽しむことが含まれているのかどうかは疑わしい」のである。したがって、美味しいと言って食べ物を選ぶグルメ派は哺乳類以上の高等動物に許された贅沢な機能ということになるだろう。その贅沢な機能も、一歩間違えると件のメタボリックシンドロームに陥ってしまう可能性があるのだ。

 ところが、食べ物の「味」は舌だけで味わっているわけではない。匂い、色、歯ごたえなどの総合感覚で「美味しい」と感じるのである。あるテレビ番組を観ていてそれがよくわかった。

 その番組は二人の人気タレントが司会をつとめ、それぞれ二組に分かれたゲストがおしゃべりをしながら用意された料理を相手チームの目の前で食べ、お互いに相手の嫌いな食べ物を当てるというもの。

 双方のゲストに用意された料理の中にはあらかじめ申告してある嫌いな食べ物一品が用意されている。相手から指定された料理がたとえ苦手な食べ物でも平然と美味しそうに食さなければならないというのが趣向である。好きな食べ物ならばいくらでも演技も出来ようが、鼻を近づけるのも苦手な食べ物が出てきた場合は、なかなかそうはいかない。勢い、いかに相手を騙すかが番組の見どころとなり、視聴者も一緒になってゲストの表情に注目することになる。

 指定された料理が自分の好物ならばニコニコと美味しそうに食べることも、また、わざと嫌いな食べ物を装って顔をしかめる余裕も出てくるが、ほんとに嫌いな食べ物が目の前に出されると、トークに集中することも出来ず笑顔も心なしか余裕がない。たとえば、その料理の匂いが苦手な場合には無意識に鼻を近づけないようにしているし、食感が苦手な場合はほとんど噛まずに飲み込んでいる。

 このように私たちが口にして感じる「味」は、食品に含まれる水溶性科学物質が舌や口蓋、咽頭などにある味覚受容器を刺激して脳に送られる神経情報なのであるが、実際はそれだけではなく、食べ物の硬さや柔らかさ(触覚受容器)、食品と舌との温度差を検知(温・冷受容器)する情報も密接に関わってきているのである。

 つまり、食べ物を味わうという行動は、甘、塩、酸、苦味などを識別したり、その濃度を検知するだけではなく、快・不快(好き、嫌い)の感情(情緒)を伴う高度な感覚反応なのである。

 添加物はもとより賞味期限の表示まで改ざんされてしまっては、いったい何を信じて身を守ればよいのだろうか。せめて自分の舌くらいは信じたいものである。

 

 


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