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介護ビジネスと消え去る戦争世代 その人生の黄昏を見た 14年後の日本考(5)

  「大正っ子」。幼少期から青年期にかけ、15年戦争、敗戦、そして戦後復興という最も多難な時代を生き抜いた大正生まれ(1912年━26年)世代の多くはこう自称していた。敗戦時に父31歳、母22歳だった筆者の亡き両親もそうだった。生存者は今や82歳から96歳に達し、この戦前派の人々が今、ロウソクの灯のように日々消え去りつつある。

 この世代の子供である、筆者ら団塊の世代も20年後には80歳代に突入する。高度成長、経済大国の仲間入りを経ての、食生活、住環境、医療体制の目を見張る改善は、社会の高齢化進捗に拍車を掛けている。こんな中、現在の深刻な景気後退を尻目に、老人介護ビジネスは興隆の一途を辿っている。巨大新興ビジネスの現場に介護助手として入り込み、波乱に満ちた戦争世代の人生の黄昏をのぞいた。


■景気後退はビジネスの好機

 2008年11月半ば過ぎのこと。「えー。本気ですか。60歳の方に体力のいる介護助手を依頼する老人介護施設なんてまずないと思いますよ」。医療関連人材派遣会社の20歳代後半の社員は戸惑った。それでも執拗に「早世した大正生まれの両親の世代の老人を親孝行のつもりで短期間でも良いから介護したい」と説得を続けたら、「そこまで熱意があるのなら面接してもよい」との返事を寄こした東京郊外の某有料老人ホームの施設長がいた。面接に行くと、この40歳代半ばとおぼしき女性施設長に「まあ2週間ほどやってみたら。きついと音を上げて途中で放り出しちゃだめよ」とつっけんどんな態度で諭された。

 今、老人介護施設は人手不足に苦しんでいる。特に、脳梗塞などによる肢体不自由者や、かつて痴呆老人と呼ばれた認知症患者が多数を占める各種施設での、介護福祉士など有資格者の不足は極めて深刻だ。介護助手として就労すると、介護士や看護師の仕事を無資格で補助できる。各施設はこれから介護福祉士、ホームヘルパーの資格を得ようと志す20歳代の若者を助手募集の主たる対象にしているようだ。同時に、介護助手は人手不足を補完する貴重な人材源となっている。

 だが、食事、入浴の世話はまだしも、大半が80歳以上の肢体不自由な老人から頻繁に求められる排泄介助は今の若い世代にとって3K労働の最たるもので、志望者は極めて少ない。そこで「猫の手でも借りたい」との思いが60歳の筆者を介護助手として一時雇用したようだ。だが、今回の世界規模の深刻な景気後退が人手不足の事態を改善させるのではと業界関係者は期待している。このビジネスは経済情勢、景況とはほぼ無縁と言え、需要(顧客者数)が増大する一方の介護業界に求職難に苦しむ若者が殺到し始める可能性が大きいからである。


■入居者への絶対服従

 施設を経営する企業は2005年に設立されたばかりの新興業者。東京郊外の中級小型マンション(10階建て)を買い取り、内部を個室と共用施設などに改造していた。収容能力は20人で、当時の入居者は19人。うち17人が認知症患者だった。全員が「大正っ子」で年齢は83歳から95歳。男性入居者は2人だけ。看護師2人、介護福祉士3人、ホームヘルパー有資格者2人が正規雇用者。365日、24時間体制の介護遂行には人員は決定的に不足し、欠員は非正規雇用者、つまりパートや派遣会社からの人材で賄われていた。医師は週一回回診に訪れ、必要に応じて施設は契約病院に入居者を車で送迎している。

 入居者は「お客様」であった。日本の大手商社など有力企業の一部は1980年代後半には老人介護事業をニュービジネスとして位置付け、早々と子会社、孫会社を設立していた。したがって、利益の上がる富裕層、上位中間層を対象にした「入居者獲得合戦」は熾烈を極めている。この業界の最底辺で働く介護助手は高級ホテルの見習い並みのサービス精神を求められる。入居者には絶対服従なのである。痴呆症状からくる理不尽な要求、抗議への対処、飲食物の提供、個室への誘導をはじめあらゆる形態のサービスに乳幼児、否、腫物を扱うような丁寧な対応を常に心がけねばならなかった。


■家族から排除、戦禍を忘却?

 最高齢者は1913年(大正2年)生まれのNさん(95)=女性=だった。終日、ダイニングルーム南側の窓際に置いたソファーに横たわり就眠したかと思うと、半時間ほどで起き上がり、介助を得て、食堂から自室にまで続く廊下を往復する。そしたまたソファーへ。終日このパターンを繰り返す。この施設の介護関係者にとって最も手のかかる「お客様」だった。起き上がると時折、「アー、アー」と嘆きとも、悲鳴ともつかない声を上げる。看護師によるとしばしば無意識状態に陥っているそうだ。余命いくばくもなさそうな気がした。

 Nさんの手を取って廊下を文字通りの牛歩で一日何度往復したことか。老い果てたとはいえ、その風貌、言葉遣いなどからかつての容姿端麗さ、育ちの良さ、教養がにじみ出てくる。生まれは東京市麻布区(現在の東京都港区)で、祖父は元長州藩士の明治政府高官、実父は実業家、夫は大学教授、3人の息子はいずれも医師、一人娘は翻訳家とのことだった。

 身の上話の真偽のほどは不明である。だが、嘘をついているとは思えない。「夫はたいそうお優しい方でございました」などと失われつつある美しい山の手言葉を口にした。ある日、ソファーの横に布製の手提げカバンを置いていた。そこからノートと鉛筆を取り出してくれと頼まれた。小ぶりなノートを手にすると驚くほどの達筆で、さらさらと見事な俳句を一句綴った。萎縮し、機能不全に陥っている脳の一部は極めて正常に働いていた。

 このNさんを毛嫌いする女性入居者が2人いた。食事用の大型テーブルの横にあるソファーを四六時中一人で占領するのが気に入らないからだ。「この人なんなの。いつも独り占めしている」。幾度理由を説明しても、この抗議を毎日、何回も繰り返す。痴呆特有の症状だ。食堂がある同じ2階にあるNさんの自室には昼間鍵が掛っている。自室ベッドで横になられたら、スタッフの誰もNさんに常時目配りできなくなるからだ。このことは認知症中心の後期高齢者の介護が如何に人手不足に陥っているかを如実に物語っていた。

 男性入居者の2人のうち1人は脳梗塞後遺症で寝たきり、もう1人はほとんど自室に閉じこもりがちだった。女性陣のうち、孤立派はNさんのほか、いつも2階エレベーター前にある皮製の椅子に終日座ったまま過ごすTさん(88)、車イスに腰をおろしたままのKさん(89)の3人だけ。残りの大半は2─3人でグループをなして昼間は和気あいあいと過ごす。気になったのは、平日、週末を問わず、息子、娘、孫ら家族が訪問するのは、いつも限られた数人だけ。入居者の大半が「家庭から排除されている」との思いが募った。

 期待した戦争体験は耳にできなかった。少女期、青年・成人期に起きた軍部暴走、開戦、空襲と戦禍、敗戦、米軍主導の連合国占領期と食糧難などの体験を話してもらえる機会を作れなかった。新聞を毎朝読むのは二番目の年長者Wさん(93)のみで、病気のせいであろう、社会事象への関心はまったく喪失していた。筆者はあくまでも四六時中雑用に追われる介護助手。記者として軽症者に質問すればさまざまな体験談を聞けたのではと悔やまれる。就労期間中に某紙がこの世代への聞き取りグループの活動を報じた。筆者は苛立ちを覚えつつも、厳重な監視下に置かれた身ではなすすべがなかった。


■まるで高級ペット

 この介護施設の5階に応接間があった。同階にある浴室の掃除をすまして、廊下に出ると、応接間の上に置かれてあった書類が目に入った。周囲には誰もいない。施設長が入居相談に訪れた家族への説明書類だった。「預託金4千3百万円。償却期間116カ月。途中で死亡すれば月割りで残額は返却。一カ月の基本入居料30万円」の条項があった。

 仮に78歳で入居し、10年弱経て88歳となれば上記4千万円余りは償却されてしまい、家族は新たな預託金を支払わねばならない。116カ月を約10年と換算すれば、1年間にこの施設に入る金(償却費)は430万円、1カ月に換算すると35万円となる。基本入居料と合わせると、1カ月当たりの家族の最低負担料金は65万円となる。もちろん、医療機関での特殊治療、通院と送迎、諸経費を加えれば月100万円近くに達する入居者もいよう。

 この施設を運営する新興業者は都内、首都圏に既に5つの同様な施設を有し、「お客様=入居者」は100人を超えている。ホームページによれば、親企業の正社員は10人足らず。介護士などは子会社化した各施設の被雇用者である。人件費を徹底的に抑制して、集客に全力を注げば、利益率の極めて高いビジネスとなる。面接時に施設長が「入居者はお客様ですからね。これを頭に叩き込んでよね」と念を押した理由がはっきりした。入居者とその家族がサービスに不満を感じて、他企業が運営する施設に移ることは何としても防がねばならない。

 食事、おやつ、入浴、排泄など基本サービスでの扱われ方をみていると、入居者は専用ホテルに預けられた高級ペットと差異はない。あるいは超高級「姥捨て山」ではないか。日毎に「殺さぬように」が彼らの経営の基本精神に思えてきた。できるだけ長く入居させれば、空室率が増すのを防げる。家族の負担はあまりに重く、介護保険料は焼け石に水である。しかし、上位層の家族にとっては、特別養護老人ホームなど「通常の施設」のサービスは貧しすぎるのだろう。「さあ、お食事ですよ」、「お風呂お待たせいたしました」などの恭しい言葉が飛び交い、椅子に座ったままの体操や散歩、誕生祝い、各種催し開催、お遊戯━ など入居者の健康維持と心のケアーのために、至れり尽くせりであった。


■過重労働と助手いびり

 認知症老人の介護には誠意と忍耐、そして体力が不可欠だ。夜勤シフトは有資格の正規雇用者が担当する。このシフトには午後3時から翌朝10時まで不眠不休の徹夜労働が待ち受けていた。昼間は和気あいあいとダイニングルームなどでおしゃべりし、テレビを見ていたグループの入居者らも、夕食後の午後7時すぎにはそれぞれ自室に戻る。

 30代半ばの男性介護福祉士はこう打ち明けた。「一応仮眠時間は設けられている。しかし、それは建て前。深夜から未明にかけ、孤独になった入居者の被害者意識、妄想は高まる。深夜徘徊を試みる入居者は枚挙に暇がない。『キャー』と金切り声を上げて、『誰だ。私の財布を盗んだのは!』などとどなり続ける。夜勤の看護師が投薬しても、妄想と興奮はなかなか収まらない。これらが認知症の典型症状で、夜間に多発する」。

 過重労働と入居者への過剰配慮で疲労し、神経を高ぶらせた介護士やヘルパー、特に女性は助手につらく当たる。飲食や排泄の介助時などは、叱りつけて当たり前との雰囲気が醸成されていた。「だめじゃないの。飲み物は口の真ん中から与えてはだめ」「もっと時間をおいてあげるの」、「パット(おしめ)は便座に座る直前にスムーズに抜き取る。何度いったら分かるの」、「大小便の記録はすぐにノートして」、「まだ書いてないね」、「助手は原則エレベーター使用禁止。外の階段を使いなさいよ」━等々。初日から罵声が飛び交い、ただただ戸惑った。3日目ともなれば、危険な車イス患者の排泄介助を一人でやらされ、冷や汗をかきながらなんとかこなした。明らかに助手としての職務範囲を逸脱していた。

 朝9時から夕6時までの日勤を続けて1週間後、同じ人材派遣会社が20代半ばの若者(男性)を就労させた。「やっと(筆者の)交代が見つかったのだ」と直感した。その通り、数日後に「約束の期日までで結構です」と通告された。期待した延長はなかった。筆者としては残りの1週間、共に働いたヘルパー2級の若者に比べれば、遥かに神経を使い、誠心誠意老人らに尽くしたつもりだ。「これは決して思い込みではない」と今でも自負している。だが、「60歳の高齢助手」はこの業界ではやっかい者なのである。

 認知症、脳血管障害とは無縁のまま事故死したわが実父の祥月命日は奇しくもキリスト生誕日の12月25日である。15年戦争の大半を中国大陸各地、フィリピン、ビルマを転戦した元職業軍人で、戦後はビルマで罹患したマラリアの後遺症に苦しみ、32年前に62歳で不慮の死を遂げた。現代の介護ビジネスの実態を見聞したら何と言うだろうか。「あんな馬鹿な戦争は二度とするものではない」が口癖だった亡父が「俺はペットにならずにすんだよ」と苦笑する姿が瞼に浮かんできた。

 

【編集部ピックアップ関連情報】

○日本介護新聞 「超高級な老人ホームが福岡市に誕生」2008/04/23
 九州の西部ガスが高所得者向けの有料老人ホーム「アンペレーナ百道」を
 完成させた。122戸のうち介護住戸は31戸。レストランとでも呼べそうな
 食堂で味わう食事は、専門の管理栄養士と料理長が手がけるという。
http://careworker.seesaa.net/article/94328905.html


○介護福祉ブログコミュニティHelperTown: ほろ酔い介護福祉論
 「2008年の介護福祉を振り返る、介護福祉重大ニュース」
http://www.helpertown.net/mt/blog/000686.php

 

 


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