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1個売るために5個試食させる話

商品を売るときに、サンプルとしてその商品を無料で提供することがある。デパートの地下食品売り場でサンプルの試食をさせている、なんてのが典型例の1つか。たとえばりんごを売っているとすれば、サンプルはりんごを小さく切ったもの。化粧品なんかではサンプル用の小さな容器をよく配ってるし、自動車は半分というわけにいかないが、ちょっと試乗させるなんてことはある。要するに、実際に使ってみないとよさがわからないものは、とりあえずちょっとだけ「お試し」させてみるというわけだ。当然ながら、売って利益を出すのが目的なので、無制限に使わせるようなことはない。りんごを1個売るために5個試食させるようなことはない。普通は。

だが、そういう類のビジネスもある。いや、そうなってしまった、というべきだろうか。それがコンテンツビジネスだ。

コンテンツビジネスは「ものづくり」でもある。良質なコンテンツを作るためには、それなりの技術や資金がなければならないし、それなりに時間も、地道な努力も必要だ。多くの人々が仕事を分担し、時間に追われ、予算に縛られながら作る映像コンテンツのような場合でも、大量生産の工業製品というよりは、一点ものの工芸品、あるいは芸術品に近いわけで、一生懸命作った人たちは、そのコンテンツに対して愛着と誇りがあるだろう。それを軽く扱われれば、気分を害するのはよくわかる。

ところがこうしたコンテンツは同時に、実際に「使って」みないとその価値が実感しにくいという特徴も持つ。つまり上記の「お試し」が有効な分野であるわけだ。したがって当然、この分野では「サンプル」的な売り方がよく行われる。映画の予告編しかり、雑誌や新聞の定期購読を誘うための無料提供しかり。映画でも、シリーズものの新作が出るときには、旧作をテレビ放映したりする。この程度なら、まだよかった。そもそもコンテンツは複製コストが安いという特徴も持っている。上記のりんごの例でいえば、りんごを1個売るのにりんご半分くらいを試食させるぐらいの感じだろうか。もちろん、その後ずっと食べてくれるなら、まるごと1個食べてもらったっていい。食べさせたところで、消えるわけではないのだ。

しかし今は、それではすまない。それがタイトルの「1個売るために5個試食させる」という話だ。「5個」に特段の意味はなく、たくさん、ぐらいの意味。確かめたわけではないのであくまで印象論だが、たとえばDVDを買う前に、YouTubeなどで関連の動画を一通り見ておく、なんてことがけっこうあるんじゃないだろうか。当然、見て面白くなければ買わない。だから、見た中で実際に買うのはごく一部ということになる。

1人の人が「5個試食して1個買う」場合ばかりではない。5人が1個ずつ「試食」して、その中の1人が1個買う、というような場合だってある。上記の例だって、動画サイトで動画を見た者がすべてDVDを買ってくれるわけではない。1人はりんごを買ってくれても、あとの4人はまるごと1個食べたのに買わないわけだ。ひょっとすると、買わないやつに限って10個ぐらい「試食」してるかもしれない。

買うのがモノなら、いろいろ見比べてから選ぶことに誰も文句はいわないし、ものにもよるだろうがちょっとお試ししてみたけど気に入らないから買わないなんていう場合もよくある。しかしコンテンツは「見る」ことがすなわち「消費」そのものなわけで、いくつも見たけど結局1つも買わない、そもそも買うつもりなんか、はなからないなんていうのは、いくら複製コストが安いといっても、作ってる側にとってはたまらないだろう。権利侵害だ、といいたくなる気持ちはよくわかる。

しかしこれを、こういうビジネスなのだ、といってみたらどうだろう。相手にしている人たちの一部から、あるいは提供したモノやサービスの一部に対してしか対価が支払われないタイプのビジネス。そういうものはたくさんあるわけではないが、あるにはある。

少なくともコンテンツまわりには。

音楽では以前からそうした動きがあった。レコードやCDの貸し借りにはレンタルがあったし、いまや死語となったが「エアチェック」などというものもあって、放送された音楽を録音するのが趣味の一ジャンルになっていた。レコードやCDを買うのは、その中でも気に入ったもの。ジャケットが欲しいとか、ファンだとかそういう理由がある場合だ。パソコンにCD-ROMがつくようになってさらに加速した面はあるが、そのずっと前から、音楽には「5個試食して1個買う」タイプのビジネスという部分があったわけだ。その中の一部は、今話題になってるJASRACと放送局の包括契約や、レンタル業者からの支払いのようなかたちで、産業の一部に取り込まれた。残りの部分は、法律上の権利として認められたりお目こぼしにあったりして(たまにもめたりもするが)、それを前提とした価格システムが形成されている。

インターネットサービスでは、これはむしろ主流に近いとすらいえる。利用は基本的に無料、何か特別なサービスに対して課金、というビジネスモデルは、オークションしかり、SNSしかり、動画投稿しかり、オンラインゲームしかりというわけで、実にたくさんある。ネットワーク外部性で説明する人もいるだろうし、two-part pricingで説明する人もいるだろうが、要するに、顧客をたくさん集めて、そのうち課金を厭わない一部の人々に課金するというやり方は、この世界ではごくふつうだ。

ほかの分野では少なかろうが、少し似た例らしきものはある。そのものずばりというわけではないが、たとえば弁護士なんていう職業には、そうした要素が少しあるように思う。もちろん弁護士のサービスには「法律相談」というのがあって、ちゃんと料金が設定されていたりする(昔は弁護士会で決めていたように思うが、最近は自由化されたので各弁護士が決めるらしい)が、想像するに、最初からこの料金を払って相談にいく人というのは、現実にはあまりいないのではないだろうか(現職の方ご教示を)。

弁護士に仕事を頼む場合は、知り合いに紹介してもらうといったかたちで相談が先に始まって、話をするうちにじゃあ依頼しようかという方向にいくほうが多いのではないか。少なくとも日本では、開口一番「30分5000円です」とやられたら相談する気が失せる人はたくさんいると思う。よほどの人気者か商売下手でもない限り、そうはしないんじゃないかなと、これは私の勝手な想像だが、さほどちがってもいまい。「知的サービス」という広いとらえ方をすれば、経営コンサルタントのような職業も、これに似ているのではないかと思う。この種のサービスは、「複製コスト」がゼロとはいいがたいが、知的サービスの提供に要する限界費用は、ものづくりなどと比べると低い場合が多いような気はする。

いいたいのは、ユーザーの中で対価を払っていない人がたくさんいるという状況そのものが、およそどんな場合でもありうべきではない異常な状態、とまではいえないのではないか、ということだ。もちろん、現行法の下で権利侵害が野放しになっている状態は好ましくないだろう。しかし考えてみれば、ユーザーがやっていること自体は、ラジオとカセットテープや、テレビとビデオカセットの時代とそう変わっていない。テレビやラジオの番組は無料で見たり聴いたりする。気に入れば録画したり録音したり、後でレンタルしたりする。もっと気に入った人はビデオなりレコード・CDなりを買う。それは現代の人々が、動画投稿サイトでさまざまなコンテンツを見て、気にいったものがあれば買うという行為と、基本的には同じだ。

ちがうのは、放送局とコンテンツの作り手の間には対価の授受があって合意ができているが、ネットサービスでは、必ずしもそういう場合ばかりではないということだ。そのつけをユーザー自身が負うべき場合もあろう。しかし、それなりのスキームを考えることで解決できる問題もある。昨年あたりから、動画投稿サイトが権利者との間で著作権料支払いの契約を交わす例が出てきているが、そうした流れに沿ったものといえよう。

もちろん、それですべて解決できるわけでもない。確信犯的に無法なふるまいをする者は必ずいる。しかしそれよりもおそらく深刻なのは、コンテンツの流れ、金の流れが変わってくることによって、ビジネス全体のバランスが変わってきているということだろう。コンテンツビジネスを支えてきた広告は、ネットへの移行とともに単価の低下が続いていて、全体のパイが縮小しつつあるようにも見える。業界の方々の危機感も相当なものだ。簡単にわかる正解などあろうはずもないが、環境の変化に応じ、ビジネスモデルも進化させていく必要があるのは当然のことだ。その意味でも私たちは、コンテンツビジネスを語る際、ものづくり、モノ売りのアナロジーから少し離れる必要があるのかもしれない。

 

【編集部ピックアップ関連情報】

○ITmedia News  2008/05/13
 違法と合法の敷居があいまい──作り手から見た「YouTube」、ガイナックスに聞く
 作品は、なるべく多くの人に見てもらいたい。だが、YouTubeにアップされ、
 DVDが売れなくなれば、作り続けられなくなる――ガイナックスの版権部長は、
 YouTubeや海賊版への複雑な思いを吐露する。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0805/13/news049.html


○Gigazine  2008/11/11
 「違法ダウンロード爆増でDVD売れず、ついに韓国からハリウッドの全映画会社が撤退」
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081111_korea_dvd/

 


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1個売るために30個試食させるような話 2009年03月23日 09:50
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