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医師偏在に一石投ずる離島に芽吹いた「まともな医療」

 先日、ある出版社から1冊の本が届いた。離島で献身的な医療活動を続けている医師が記した実録本である。著者の安田敏明医師は、市町村合併や医療制度改革に翻弄されながらも、患者のための医療という当たり前のことをひたすら真摯に追い続けている。離島が抱える厳しい現実、患者や家族1人ひとりが支え合って生活する様子なども描かれている。これは東北の小さな島での話しだが、地方を嫌って大都市に医師が集中する医師偏在が起きている昨今、離島の診療所にかけた安田医師の志に医療の原点が浮かび上がる。

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 宮城県牡鹿半島の先端に網地島(あじしま)という小さな島がある。昭和30年代には漁業で栄えた島だが、島の人口は今では500人余り。若者は島を出て老夫婦だけの世帯や、独り暮らしという世帯が多い。その6割が65歳以上のお年寄りという限界集落である。

 10年前、たまたまこの島に保養所を持っていた栃木県の民間医療法人が島民の要望を聞き入れる形で診療所をつくった。行政の協力も加わり建物は廃校になった小学校を改築した。CTや手術室も備えた19床の有床診療所である。必要があれば検査データは350キロ離れた栃木の本院に送られ専門医の診断を仰ぐことも出来る体制が整った。

 人口500人余りの離島に民間病院が診療所を運営するというのは容易なことではない。営利目的でないことは誰の目にも明らかだ。事実、診療所の経営は10年経った今も苦しく、行政側の補助金がなくては成り立たない。赤字を出さずに運営するのはかなり難しい状況だ。それでも、この島にはまともな医療を望む島民と、それに応えようとする熱意ある医師と医療スタッフが存在する。都会ではなかなか育ちにくい、患者と医療者との信頼関係がこの島の医療を支えている。

 この診療所が出来るまで、島の人たちは自分や配偶者が大きな病気になると島を離れ、入院施設のある本土の大きな病院に移らざるを得なかったという。仮に回復して元気になったとしても一度引き払ってしまったら、もう島に戻っては来れない。都会に出た息子夫婦と果たしてうまくやっていけるのか…。病気で島を出て行く人が後を立たない中で、みんな不安になっていた。島に残っているお年寄りは、出来れば生まれ育ったこの島で余生を過ごし、この島で死にたいと願っていたのである。

 そんな1999年9月、島の診療所は廃校となった旧網長小学校の一部を改修し、19床の有床診療所としてスタートした。名称は島民の公募で「網小(あみしょう)医院」と決まった。診療所の名称を島民の公募で決めるというのも、当初から住民参加の病院作りであったことを物語っている。

 いつも整備されている広い校庭。敷地内の除草から窓拭きまで、すべて島の人たちが積極的に参加した。島民の間には「網小医院は自分たちのもの」という意識が働いたのだろうか。島の住民やこの島を愛する多くの人々の熱意が互いに共振し合って、今もこの島の医療を支えている。

 「島の中でできる治療は島の中で」というのが、開設以来の診療所の基本方針だという。医療機関と住民が話し合い、それを行政が後押しすることで“まともな医療”が育つのだということが実感できる良い実例だろう。

 その中心的な役割を担ったのが、この本の著者であり「網小医院」の院長でもある安田敏明医師である。安田氏は東北大学法学部を卒業後、一時サラリーマンを経験するが、医師のほとんどいない途上国での働きを志して山形大学医学部に入り直す。医師となった安田氏は、今度はネパールの首都カトマンズから300キロ離れた標高1700メートルのタンセンという山奥の町に赴き、内科、小児科、産婦人科、眼科、耳鼻科まで多くの患者さんの診療に従事することになる。そして今、海に浮かぶ小さな島で大きな支え合いの心が芽生え、誰もが安心して生活できる“まともな医療”が安田医師のもとで実践されている。

 しかしそんな安田氏も、実は奥さんと3人のお子さんたちに支えられているのだろう。本書に掲載されているネパールでの家族写真が信頼で結ばれた家族の絆を感じさせる。読者諸兄にもぜひご一読をお薦めしたい。

         「離島病院奮戦記」(東銀座出版社 発行)
           安田敏明 (著)

 

 


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