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「影」に注目できるという幸せ:「人肉捜索」をめぐる考察

「人肉捜索」。日本語でそのままとらえるとただならぬ語感だが、中国語で「標的にした人物の個人情報をインターネット上で大勢が、よってたかって暴き出す」行為を指すらしい。この「人肉捜索」に関する記事が2009年4月8日付の朝日新聞に出ていた。

最近の朝日新聞にはネットに対して中立的な態度の記事が少なからず見られるが、これもその類で、ネットの功罪を比較的ニュートラルに伝えている。権力者に対して民衆が対抗する手段の1つとして価値があるが、矛先が個人に向けば思わぬ被害を生むこともある。規制しようとの動きもあるが、世論の反発も激しい、と。

日本や他の国とちがうところも少なからずあるのだろうが、どちらかというとそれも本質的というよりは程度の差のようなもので、おおまかな構造はそう大きく変わらないように思う。日本でもこういうことはよくある。日本だと「晒し」とでもいうのだろうか。場合によっては「祭り」と表現されるかもしれない。興味深いのは、規制の動きに対する世論の反発についてのくだりだ。江蘇省徐州市が2009年1月に導入を発表した、個人情報の無断ネット開示を禁じる条例について、こうある。

人民日報系のウェブサイト「人民網」の調査では90%が反対。理由の多くは「市民が権力を監督する権利を奪うから」だった。人肉捜索は論議を引き起こしつつも市民権を得ている。

このような論調は、中国のネットユーザーの間ではさほど違和感はない。同じ徐州市の条例について、「サーチナ」の記事はこう締めくくられている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090209-00000066-scn-cn

総じて、「人民捜索」とも称される「人肉捜索」は、多くの場合、善意、正義を語るものである。「人肉捜索」に恐懼(きょうく)を感じるのはおそらく公徳心欠如、法律違反、秩序撹乱に関わっている人たちだろう。圧倒的多数を占める、法律を遵守する善良な人々にとっては、「人肉捜索」に恐怖感を抱くのは杞憂に過ぎないのではないだろうか。

なんだか乱暴な議論ではあるが、とりあえず措く。一方日本では、内閣府「人権擁護に関する世論調査」(平成19年6月調査)などを見ると、インターネットによる人権侵害に関してどのような問題が起きていると思うか聞いたところ、「出会い系サイトなど犯罪を誘発する場となっていること」と並んで、「他人を誹謗中傷する表現を掲載すること」を挙げた者の割合が52.8%とひときわ高くなっている。
http://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-jinken/index.html

中国では「光」への関心のほうが高いのに対し、日本は「影」により注目しているのだろうか。しかし内閣府の調査は調査員による個別面接方式だ。ネットユーザーに対するアンケートだったら、日本でも中国のそれらと似た反応があったかもしれない。一方、中国でも、徐州市の条例は、権力に対する「人肉捜索」を否定するものではない、ということは、上記のサーチナの記事にも書かれている。

徐州市の立法関係者は、同条例は「人肉捜索」を槍玉に挙げたものではない、汚職官吏の摘発、犯罪の検挙などは同条例に適用しないとコメントしている。同条例は明らかに他人のプライバシーの侵害に規制を加えるものであり、世論監督権の行使を干渉・禁止するものではない、という。

やはり、問題の本質は日本でも中国でもそう変わらないのだろう。ただその現れ方が程度問題としてちがうわけだ。本質的な部分を少しまとめてみると、こうなる。


(1)情報には大きな力がある

情報は広く伝わることによって、社会に対して大きな影響力を持つ。誰もがぎりぎりのところでは「悪人」になりたくないからだ。政府が強い権力を持ち、マスメディアをかなり押さえ込んでいるところでも、そのことは基本的には変わらない。むしろ、権力がコントロールしにくい草の根メディアの価値は、そうした場所でこそ高いのかもしれない。韓国で「オーマイニュース」が大きな影響力を持ったのも、よく似た構造だ。逆に、日本で「オーマイニュース」がとうとう支持を得られなかったのは、マスメディアが市民の要望を幅広く伝えていたために、今の中国やかつての韓国でみられるような、草の根メディア独自の価値を持ち得なかったからだといえる。

(2)異なるルールの衝突

権力が草の根メディアに対して有効なコントロール策を打ち出せないのは、むろん技術的・コスト的な側面も大きいが、もう1つ、草の根メディアがマスメディアとはちがった「ドメイン」にあったから、ということがある。その差は、マスメディアが個人に比べて大きな影響力、優れた発信力を持つがゆえに、責任を負うべき水準も高いことに起因するのだろう。以前の状態を考えると、マスメディアの誤報には大きな社会的批判が浴びせられるが、個人が誤って伝えてしまったことに対する批判は、それよりも小さいことが多かった。そこまでは期待できないし、そもそもそれほど被害もないというわけだ。しかし、インターネットの発達によって、この差は消滅しつつある。個人の影響力が増幅されれば、これまでのように批判から自由でいるわけにはいかない。つまり、「人肉捜索」の光と影は、技術の発達によって、異なる場所で棲み分けていたはずの2つのルールが、同じ場所で衝突してしまったことによって起きたのだともいえる。

(3)「正解」は社会が決める

異なる2つのルールの衝突は、どこかバランスのとれる「中間」を見出すことによってしか解決できない。個人のプライバシーと権力の監視は、権力者個人のプライバシーという点で融合していて、完全に分けることができないからだ。当然、ユニバーサルな「正解」はない。国によって落ち着きどころがちがうのはやむをえないし、ひとつの国の中でも複数の「解」が存在しうる。その社会が総体として決めるしかないわけだ。今の中国では、プライバシー侵害という「影」よりも、権力監視という「光」に市民の注目が集まっているということになるのだろうが、だからといって安易に「人権軽視」と批判するのは当たらないだろう。

Transparency Internationalが毎年発表している「汚職認識指数」の最新版(2008 CORRUPTION PERCEPTIONS INDEX)では、全180ヶ国中、日本は米国と同じ18位、韓国は40位、中国は72位だ。もし日本が総体として、どちらかといえば「影」に注目しがちなのだとすれば、むしろ「影」に注目していられる「幸せ」を実感すべきなのかもしれない。
http://www.transparency.org/news_room/in_focus/2008/cpi2008/cpi_2008_table

 

 


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