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世界的イベントでのコラボで存在感示す「ジャパニーズデザイン」

 競泳の北島康介が着て北京五輪で2冠を達成した水着「レーザー・レーサー」(スピード社製)の一般販売が、3月から日本で始まった。五輪選手用デザインを担当したのは、世界で最も評価の高いファッションデザイナーの1人、川久保玲。「コム・デ・ギャルソン」ブランドを率いる川久保氏がスピード社と2006年から提携しているように、今やスポーツビジネスと最先端ファッションは蜜月関係。日本人のデザインセンスはスポーツを通して世界で認められつつあるが、ファッションやアートの世界では実はまだ知られざる才能がたくさん眠っている。

 川久保氏のデザインは、記録ラッシュになった北京の競泳プールを水中から盛り上げた。五輪用デザインには日本の書家、井上有一さんが描いた「心」という文字を、川久保氏がグラフィックとしてアレンジして配した。日本の「心」が肌越しに世界に通じる粋な演出だった。

 「レーザー・レーサー」の国内販売権を持つゴールドウインは全国4カ所に水着専門店「SPEEDOショップ」を開いた。国内初の常設店だ。川久保デザインの選手用は買えないが、市販モデルが手に入る。

 日本人の現代アーティストが五輪と関わったこともある。映画「ドラキュラ」で1993年に米アカデミー賞衣装デザインを受賞した、米国ニューヨーク在住の石岡瑛子氏は北京五輪の開会式でコスチュームデザインを担当した。日本代表用ではなく、式典全体の衣装を任された形で、石岡氏のクリエーションが世界レベルで改めて評価された格好だ。石岡氏はソルトレイクシティ冬季五輪のカナダやスペインチームのユニホームもデザインした。マイルス・デイビスのアルバムジャケットで日本女性初の米グラミー賞も受賞している。

 五輪は各国がファッションを競う場でもある。北京五輪で米国選手団が着るユニホームを手がけたのは、アメリカントラッドの老舗ブランド「ポロ・ラルフ・ローレン(Polo Ralph Lauren)」。同社が米選手団の公式ウエアを手掛けたのは初めてだ。漢字で「北京」と描いたポロシャツや、Vネックのチルデンセーターなど、米国らしいトラッド、プレッピーのテイストをアピールした。

 一方、北京五輪の日本選手団の公式ウエアを提供したのは、紳士服チェーンのはるやま商事。開会式の入場行進で着た服は濃紺のジャケットに白のパンツといういささか無難なデザインだった。

 各社が五輪のような場でユニホームを手がけたがるのには理由がある。個人向けファッションが売れにくくなる中、企業や団体が定期的に大量発注するユニホーム市場はアパレルメーカーにとって見逃せないマーケットとなっているのだ。かつては専業の中小・零細メーカーが主な担い手だった制服市場に、ユニクロやミズノのようなアパレル、スポーツウエア大手が相次いで参入し、激しい顧客争奪戦を繰り広げている。

 ユニクロはセコムの警備員の制服を受注した。デザインは山本寛斎が手がけている。ユニクロは五輪ユニホームを提供して、この分野での評価をさらに高めた。アテネ五輪の日本選手団ユニホームを、「KENZO」ブランドで知られたデザイナーの高田賢三と組んでデザインした。ソルトレイクシティ冬季五輪でもユニクロがユニホームを提供している。

 ミズノはリンガーハットのユニホームを提供している。柔道着に強いミズノは、動きの激しい柔道着の立体裁断ノウハウをユニホーム製造に活かした。反復運動が多い卓球のユニホームを作る技術も店員の動きやすさ、疲労軽減に繋がるという。日本が強みとしてきた種目を支えるユニホーム作りの技が、日本企業での働きやすさを高めるという素敵な循環である。

 実は日本の五輪ユニホームがファッションデザイナーに任されるようになった歴史は意外に浅い。1992年のバルセロナ夏季五輪で日本選手団のユニホームを、森英恵が手がけたのが最初だ。白ベースの襟なしジャケットで、右肩に日の丸をあしらったデザインだった。日の丸の赤と白を基本にしたそれまでのデザインを、赤主体に置き換えた。ただ、日本では賛否両論を呼んだ。

 続く96年アトランタ夏季五輪を担ったのは、「JUN ASHIDA」ブランドの芦田淳。燃える太陽をテーマに、日の丸デザインを抜け出した。赤の上着に、ライトグレーのシャツ、スカートという組み合わせだった。

 シドニー夏季五輪開会式で日本選手団が着たレインボーカラーのマント姿は総じて不評だった。ひざまで覆う襟付きマントは派手さでは際立っていたが、「てるてる坊主みたい」という声が上がった。特定のデザイナーに依頼はせず、複数案を選考委員会で議論して決めた。

 加えて、レインボーカラーにゲイコミュニティーの象徴としての意味があることから、誤解を招きかねない色使いにも疑問が示された。虹色のレインボーフラッグはゲイの誇りや尊厳をアピールする意味があるとされ、日本選手団全員がこの色のマントを着て登場した出来事は内外メディアで取り上げられた。

 88年のソウル夏季五輪までは赤いブレザーに白パンツ、白スカートが踏襲されてきた。特定のデザイナーは立てず、学識経験者の意見を聞いて決めていたという。

 バンクーバー冬季五輪(2010年2月12─28日)まで1年を切った。日本選手団のユニホームはまだ発表されていない。ロンドン夏季五輪は2012年7月27日─8月12日に開催される予定だ。

 森、芦田、高田といった大物デザイナーを起用してきた日本の五輪ユニホーム。もちろん、こうした先達の仕事は高く評価されるべきだが、実は日本には世界に誇れるようなファッションデザイナーが川久保氏をはじめ大勢いるし、石岡氏のようなアーティストも少なくない。村上隆、奈良美智といった現代アーティストは海外でもスター扱いだ。村上氏は「ルイ・ヴィトン」とのコラボレーションも果たした。現代アーティストがファッションデザインを手がけている。

 先日(2月)久しぶりに訪れたニューヨーク近代美術館では、米国在住の日本人アーティスト、河原温の代表作である、日付だけを描いた作品が、アンディ・ウォーホルやジャクソン・ポロックといった巨匠の有名作と並んで展示されていた。毎日、当日の日付を黒字に白抜きで描く河原はコンセプチュアルアートの象徴的存在とされる。

 同じ時期に奈良はニューヨークの「マリアン・ボエスキーギャラリー」で約1カ月の作品展を開いた。オープニング直前に地下鉄で落書きをして逮捕された事件は日本でも報道されたが、この奈良の行為は、ニューヨークが生んだ現代アーティスト、キース・ヘリング(1958─90年)が地下鉄構内の広告掲示板に黒い紙を張って、その上にチョークで描く落書き風の作品発表から出発したことを思い起こさせた。ヘリングの作品は「ユニクロ」のTシャツとしてもおなじみだ。

 日本で活動する新鋭・中堅のファッションデザイナーにも、世界的な評価を受けるにふさわしい才能が相次いで登場している。五輪だけではなく様々な世界発信の舞台で、こういったまだ大御所ではない、日本の才能をアピールしていくのは、「ジャパニーズデザイン」「クールジャパン」を証明する望ましいアプローチとして、今後に期待したい。


【編集部ピックアップ関連情報】

○松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇  『I DESIGN(私 デザイン)』石岡瑛子
 最初に白状しておくが、この本の461ページでぼくは不覚にも
 涙ぐんでしまった。石岡瑛子はソルトレイク冬季オリンピックのために、
 デサントがサプライヤーとなるレーシングウェアとアウターウェアを
 デザインした。そのひとつ、セレモニーウェア「ガラ・コート」を着た
 スイス選手団が、ゴールドメダリストのシモン・アマンの掲げる国旗を
 先頭に入場してくる場面のくだり。選手団が着ているのはデサントが
 開発したモルフォテックス素材を銀色に仕立て、裏を真っ赤に染めた
 マキシコートである。赤は石岡瑛子の勝負の色だ。それが一瞬、厳寒の
 風にあおられて翻った。ウォー・ウォーという歓声がどよめいた。
 凍てつく観客席にいた石岡瑛子も小さな握りこぶしを挙げた。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1159.html

 


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