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治療よりケアが大切なスピリチュアルペイン。傾聴ボランティアの育成急務

 「死」を目前にした人が訴える“心の痛み”をスピリチュアルペインという。実際に体に痛みを伴う心因性疼痛とは区別され「霊的な痛み」、「魂の痛み」などとも表現されるが、スピリチュアルペインは純然たる医学用語である。

 もはや治療法もなく、死期が目前に迫ったことを悟ってしまった患者の心理的な苦痛はいかばかりか。おそらく当事者でなければわからない、他人には理解できないものであろう。長年生活を共にしてきた肉親でさえも、本人の苦悩は推し量れないものがあるという。現在、がん患者にはほとんど病名が告知されているという。しかし、告知後の精神的なフォローはなく、患者はほとんど置き去り状態に近いというのが実状だ。

 告知が一般的でなかった時代には患者はもっと孤独だった。ある日から医師の回診は次第に減り、医療スタッフの対応もどことなくよそよそしく感じる。遠くの親戚や肉親が突然見舞いに訪れるようになり、家族が妙に明るく振る舞ったり急に優しくなったりする。もしや…。と、不安になるのも無理はない。

 深夜、病院のベッドで「もう、あと少ししか生きられないのか…」、「死んだら、いったいどうなるのか…」と、言いようのない不安と孤独感に襲われ、闇の中で恐怖に脅えているのに誰も手をさしのべる者はいない。そうした患者に医師はどう対応したらよいのだろうか。ナースにはいったい何が求められているのだろうか。

 こうしたケースにはもはや「治療」ではなく、「ケア」が必要なのだと畑埜義雄氏(和歌山県立医科大学付属病院長・同大麻酔科教授)は指摘する。畑埜氏は、和歌山県立医科大学付属病院に公立病院では初めて緩和ケア病棟を設立し、医学部3年の学生を対象に緩和ケア病棟での実習を体験させている。

 敗戦後、日本の医療は科学の遅れを取り戻してアメリカに必死に追いつこうとし、「治療」にばかり目を向け過ぎて「医療(ケア)」の部分を疎かにしてしまった、と畑埜氏はいう。現在ではほとんどの日本人が病院という場所で亡くなっているにもかかわらず、その病院の霊安室は人目から避けられた場所に設計され、いわゆる「裏口」から搬送される。私たちはいつの頃からか「死」を日常から遠ざけようとしてきた。その結果、日本人の生活感から「死」が忌み嫌われるようになりケアの概念が薄れてしまったと、畑埜氏は指摘する。

 しかし、がん終末期医療の現場である緩和ケア病棟では「死」は毎日、日常的に訪れてくる。その緩和ケア病棟での学生実習を推し進めている畑埜氏が、実習を終えた医学生の感想文をある学会で紹介した。


【医学生の感想文】

 「治療だけが医療の目的ではないと強く感じたのは、緩和ケア病棟での実習だった。(中略)緩和ケア病棟での患者さんの死は、治療しきれなかった結果ではなく、予定通りに訪れた自然の流れと捉えられているように思われた。この《死は自然の流れの一部である》という真実がもっと多くの人々に理解されたなら、ケアの概念はしっかりと根付くのではないかと思われる。また、緩和ケア病棟の患者さんは皆、告知を受けているということだったが、告知の形は様々で、誰かがはっきりと告げなくても本人がそれとなく気付いている場合があると聞いた。このかたちの告知が、ある意味で大切かも知れないと私は思う。真実を告げることはもちろん重要だ。しかし、形はどうであれ真実を知った人がその後の人生を受け入れること。少しでも快適な時間を過ごすことの手助けを最後まで続けることもまた、医療者の責任ではないか、と私は思う…」

                                 ◇

  このように緩和ケア病棟で学生に実習させることは末期患者のみならず、すべての患者に共通する医療のあるべき姿を学ぶことになる。とくに、若い学生や研修医にケアマインドを身につけてもらうためには、この体験教育を導入することが必要だと畑埜氏は強調していた。

 延命至上主義で発展してきた日本の医療にとって最も重要なことは、医療の世界であっても「死」は決して敗北ではなく、ケアマインドを持って受け入れるべき自然の流れなのであるということだ。患者の言葉に耳を傾け、その生き方に共感しひたすら受け入れる「傾聴ボランティア」の育成が急務なのだ。

 若い世代の医療人が、ボランティアとして死期を悟った患者の話に耳を傾ける。これは立派な医療人になるための貴重で重要な体験になると、(財)生涯学習開発財団の認定コーチでもある畑埜氏は指摘する。

 患者は、これから医療現場へ巣立とうとする若い世代の医療人に、自らの人生体験を語ることで自身の命の尊さを再確認し、自らの「死」も自然の流れとして少しずつ受け止め、心の準備をする。かつて医者も薬もほとんどなかった時代に日本人が皆そうしてきたように…。


【編集部ピックアップ関連情報】

○Tip. Blog 2008/08/08
 終末期医療とDeath Education -主体的な「死」と教育を考える-
 もはや現代社会では、死を直接的に曝すことは現実的とは言えない。
 それでは死を主体的に遂行するためにどのような解決策がありうる
 のだろうか? 例えば、Death Education(死についての準備教育)
 という概念がある。Death Educationは、1970年代頃から欧米を中心に
 盛んになってきた死に関して主体的に考える教育だ。少子高齢化や
 ブラックボックス化しつつある死について主体的に捉え直すために、
 初等中等教育でワークショップやロールプレイを通して死について
 自らの問題として考えるための契機を提供する手法だ。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~ryosuke/tippingpoint/2008/08/death-education-1.html

 

 


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