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バンクーバーから平和への願いを込めて。被爆体験の語り部 キヌコの胸像設置

 バンクーバー市キツラノ地区の入口にあるSeaforth Peace Parkに、今年9月、一人の日本人女性の胸像が設置された。彼女の名は、キヌコ・ラスキーさん。バンクーバーで20年以上に渡り自らの被爆体験を語り、平和の尊さと大切さを人々に伝え続けた人である。


キヌコさんの胸像

 私が彼女と初めて会ったのは、インタビュー記事の取材のため自宅を訪れた時だった。2002年12月大阪高等裁判所の判決と当時の坂口厚生労働大臣の上告なしの発表により在外被爆者支援が大きく前進することを受けて、カナダ被爆者協会初代会長を務めたキヌコさんに話を聞きに行ったのだった。
 
 キヌコさん(旧制土井絹子さん)は、16歳の時、見習い看護師として勤務していた広島逓信病院で被爆した。爆心地から1.4キロしか離れていない場所で被爆したにも関わらず一命を取り留めたのは奇跡に近かった。しかし、体中傷だらけ、頬や肩は肉が裂け、麻酔なしで40針を縫うという応急処置をしてくれた医師の手当てがなければ今頃どうなっていたかわからないと生々しい当時の体験を、かすかに残る広島弁で穏やかに話してくれたことを今でもよく覚えている。

 広島に実家がある私に、同郷という親しみもあったのだと思う。その後はよく自宅や講演会に招待してもらった。2004年11月に亡くなるまで、親しくさせていただいたことを思い出す。

 デイビッド・ラスキーさんと結婚後、1954年にデイビッドさんの故郷カナダに渡った。被爆体験を周囲に語るなんてことは思ったこともなかったと言っていた。しかし、80年、被爆者健康手帳を取得するために訪日した時、日本政府からの諸手当が在外被爆者には支給されないことを知り、なんとかしなければと活動し始め、体験談も積極的に語り始めた。

 82年にはエドワード・ケネディ上院議員に招かれ、米国議会で被爆者として核廃絶を訴えた。一方で、83年にカナダ被爆者協会を設立、2年後には広島の医師団を招いてバンクーバーでの被爆者の診察を実現した。その後も、招かれればどこへでも時間も労力も惜しまず、学校や教会、平和会議などで講演した。子供たちには千羽鶴も教えた。小さな体には平和への願いがいっぱい詰まっているように見えた。そうして彼女はバンクーバーではいつしか平和活動家、平和の使者と呼ばれるようになった。

 「本当は話すのがいやなんですよ」とインタビューでは、ちらりと本音ものぞかせていた。それでも講演を断らないのは、「今からの子供たちに私と同じ目にはあってほしくないから」という切なる願いが込められていたからだった。

 そして、20年以上にわたり平和の使者として活動してきたキヌコさんの功績を称えて、2001年にキース・シールドさんによって制作された胸像がバンクーバー市の許可を得て、公園内に設置されることになったのである。

 考えてみれば、一人の広島出身日本人被爆女性の胸像設置をバンクーバー市が許可したのは不思議な感じがする。しかし、それだけ彼女の活動が、在加被爆者のみだけでなく、バンクーバーの人々にも認められたということだろう。同時に、平和活動に貢献した人へのカナダの、バンクーバーの懐の大きさにも感動した。キヌコさんの意志は現在、夫のデイビッドさんや彼女と触れ合った多くの人々が引き継いでいる。

 バンクーバー市が胸像設置にこの公園を選んだのには理由がある。1986年広島の原爆の日を追悼するための記念碑として噴水がこの公園に設置されることが決められ、1987年に広島平和公園の『平和の灯』が灯された。記念式典でその灯を点灯したのがキヌコさんだった。噴水は現在も公園内で静かにたたずんでいる。


1986年につくられた噴水



 今月、広島市は長崎市と共同で2020年の夏季五輪招致に乗り出す方針を正式に発表した。オリンピックを通じて世界に核兵器廃絶をアピールすると意気込む。キヌコさんの胸像がバンクーバーの平和公園に設置された約1カ月後のことだった。

 10月30日、BC州の州都ビクトリアにオリンピックの聖火が到着する。ギリシャで採火された、友好と平和とスポーツマン精神の灯はカナダ全土を駆け抜け、来年2月12日から約2週間バンクーバーの町を照らす。

 一方、公園の平和の灯があるという噴水はというと、今では噴水かどうかも分からない状態となっている。できることならこれを機に噴水を整備し、バンクーバーに聖火と平和の灯を、広島より一足早く、共に灯してもらいたい。そして、未来のために、平和のためにと核廃絶を願って活動してきたキヌコさんの思いを、バンクーバーからも世界に向けて発信してほしいと思った。バンクーバーなら、カナダなら、それができるような気がする。


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