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いわゆる「日本人12歳論」をめぐるよしなしごとをば

ダグラス・マッカーサーのことばで有名なものの1つに、いわゆる「日本人は12歳」発言がある。米上院軍事外交委員会での証言だったらしい。議事録も探せばあるのかもしれないが、ぐぐってみたらNoam Chomskyの「Deterring Democracy」の中に当該発言
http://books.zcommunications.org/chomsky/dd/dd-c11-s03.html)が出ていたのでここから引用する。実際にはこんなふうに言っているらしい。

"Measured by the standards of modern civilization, they would be like a boy of twelve as compared with our development of forty-five years,. ."

これは、ドイツが成熟した民主主義を持ちながらファシズムに走ったので問題は深刻だが、それと比べ日本の民主主義はまだ若くて柔軟性があるから軌道修正できる、心配ない、といった文脈であって、幼くて未熟だという話ではないそうだ。当然ポジショントークではあるわけだが、日本は擁護されているのであって批判されているのではない。だが、当時の日本人はそうは受け取らなかった。以来この、いわゆる「日本人12歳論」は日本人にとって典型的な自虐ネタの1つであり続けているように思う。一種のトラウマのようになっているのかもしれない。

もともと軽く書き始めたのだが、なんだか「日本の民主主義は」みたいな妙に重たい話になってしまった。とはいえあくまでかなり抽象的、かつ単なる印象論、どうみても「よしなしごと」なので、あらかじめ念のため。

要するに、「当時が12歳なら今は何歳くらいなんだろう?」と軽く考えてみただけだ。当時と比べて日本の民主主義は、当時のアメリカと同じ45歳までいったかどうかは別として、少しは成長したんだろうと思った。もう成人したのかもしれない。先日読んだ東浩紀著「クォンタム・ファミリーズ」にもあった「35歳問題」を念頭において、仮に35歳くらいとしてみようか。あるいは、世の中「中2病」の人もけっこういると聞くから、ひょっとすると14歳ぐらいにとどまっているのかもしれない。

どちらの線もあるな、と思ったのだが、いざ具体的なイメージを描こうとして、ふとちがったイメージが湧いてきた。1人じゃないぞ、と。「大人」と「子供」と、どうも2つの影が見えるような気がする。「子供」の傍らに、影からじっと見守る「保護者」がいる、みたいな。データで示せないのでなんとも根拠薄弱な印象論だが、ご賛同いただける方は少なからずいるのではないか。そんなの見えないぞといわれると後の話が続かないので、以下勝手ながら、この認識を前提として話を進める。

影から見守る、というとつい「星明子」
http://images.google.co.jp/images?q=%90%AF%96%BE%8Eq&lr=lang_ja&oe=utf-8")を思い出してしまう世代なのだが、たぶんこの保護者、ただ見守ってるだけじゃない。何かことが起きれば、あるいは起きそうになれば、またはぜんぜん起きそうになくても、すぐにすっ飛んできてがなりたてる「モンスターペアレント」(最近は「モンペ」と略すらしい。別のものを連想してしまって調子が狂うのだが)のようでもあり、あるいはすべて支障がないよう先回りして、裏で準備万端取りしきろうとする感じでもあり。

いい意味でとらえれば、これは要するに社会を支える人、だ。おそらくマッカーサーの当時も、こうした「社会を支える人たち」はいたにちがいないが(当然、他の国だって同様だ)、そもそもあの発言は社会全体の成熟度を人の年齢になぞらえて表現したものだ。そういった要素も含めた社会のあり方全体をマッカーサーは「12歳」と評したのだろう。全体として未熟、ということだ。それが今、「大人」の民主主義と「子供」の民主主義の「2人」に分裂したイメージに見えるのだとしたら、それはいったい何なのか。

つらつらと考えてみるに、やはり、社会の中でこの2つの要素がこれまでよりはっきりちがったものとして、具体的な人ないし人の集団というかたちをとってあらわれてきているからなのではないか。もちろん1つの社会の中に、より成熟度の高い人たちと、どちらかといえば幼く未熟な人たちがいるのは、別に珍しいことではない。ただ一般的にこの二者は、社会の中で、「先導」「追従」、「保護」「被保護」、「自立・自律」「依存」といった優劣のはっきりした関係で結びついた一体のものととらえられてきたように思う。そうであれば、全体として1人の人間になぞらえることに違和感はない。しかし少なくとも私の目には、今の社会のあり方は、そうではないように映るわけだ。何なんだろう。

マッカーサーの当時と比べて、今は「保護」される側の人たち、いってみれば「子供」たちの姿がよりはっきりと見えるようになったという要素はあるだろう。理由はいくつか考えられる。ひとつは「子供」たちの声がよく聞こえるようになってきたこと。実際に声が大きくなったかどうかはともかく、さまざまなメディア、たとえばテレビやネットなどを通じて、少なくともかつてよりよく伝わるようにはなっているはずだ。こうしたメディアは、人々の中に薄く分散されていた知を集めて「群衆の叡智」を抽出する道具にもなれば、「バカと暇人」の下世話な欲求を「世論」に仕立て上げ、ときには凶器としてすら機能する危険なおもちゃにもなる。どちらに注目するかは人によってちがうが、少なくとも後者の影響力が莫迦にならないものとなってきていることは事実だ。

となると俄然、保護する側の人たちの重要性が増してくるわけだが、どうもそうはいっていないようだ。かつて社会をリードしていた「保護者」は、いまやそんな「子供」たちに気を使い、彼らを恐れるようになった。国民の生活を守り導くべく奮闘してきた政治や行政も、社会の良心として知るべき情報を伝えてきたマスメディアも、いまや世論の顔色を窺い、今にも、どやされやしないかといつもびくびくしているようになったわけだが、それにとどまらず、新たな環境に「適応」し、先回りして「子供」たちに合わせるようになってきている。批判を浴びて立場の弱くなった社会的な「強者」が「弱者」への配慮を示すことで批判を逃れようとするライフハック、とまで言ったらいいすぎかもしれないが、そうした要素も否定はできまい。

基本的に二者の「利害」は一致しているわけで、別にかまわないといえばかまわないのかもしれない。それに、マッカーサーには悪いが、少なくとも現代でいうならアメリカにもこうした要素はみられるようだし、他の国についても、あまり知識を持たないが、似たような要素は多少なりともあるにちがいないと思う。しかし、ではこうした状況でかまわないのかといえば、これはやはり望ましくないということになるだろう。もちろん社会をリードする層の、比較的少数の人々が、多数を占める国民の声を聞かず、意見を取り入れないのもまずいとは思うが、だからといってその声に単純に従えばいいということはない。

昨今、直接民主制、あるいはその他なんらかの方法で民意をより直接的に政治に反映させようという主張がなされることがある。いわゆる「エージェント」としての政府や政治家、官僚機構といった人々が必ずしも国民の利益のために行動しているとは思われない事例をさんざん見せつけられている状況の下では、こうした意見が出てくるのもある程度やむをえまい。個人的にはそうした新たな考え方に魅力を感じる部分が多々あるし、実際、ネットの普及などによって、国民が直接判断してもさしつかえない領域は広がってきているように思われる。とはいえ当然ながら、民意が直接反映すれば万事解決する、というわけでは少なくとも今のところない。

ものごとを総合的に判断するにはそれなりの知識や判断力が必要だということもあるが、それだけではない。多くの国がその統治に際して直接民主制ではなく間接民主制をとっているのは、規模やコスト、技術の問題だけではないはずだ。私たちの社会は居住地や年齢、職業や家族関係などさまざまな属性の人々で構成されていて、利害が相反することは決して珍しくない。どちらかを選ぶにしても、それらを主張する人たちがエゴを直接ぶつけ合うようなことになれば、社会に大きな弊害をもたらすことにもなりうる。私たちの社会がこれまでとってきた統治システムは、君主制、封建制、民主制、いずれにせよ、そうした相反する利害の調整手法として利用されてきた。逆らえない、あるいは信頼できる他者に意思決定をある程度まで委ねることで、直接対決を避け、ある程度バランスのとれたかたちでの利害調整を図ってきたわけだ。

あまりにとりとめなくなってきたので、ここらでまとめる。要するに現状はあまりよろしくないといいたいわけだ。小さくいえば、社会をリードする人たちはがんばってねということだし、大きくいえば、日本の民主主義もまだまだ「残念」なんじゃないかということだ(日本のウェブが残念だという発言があったが、たぶんこの2つには共通の背景があると思う)。もちろんいろいろな人が意見をいいやすくなって、さまざまな考え方に触れることができるようになったのはいいことなんだが、それらの中には、食い違ったり、相矛盾したりするものが少なからずあるという自覚を、もう少し私たちは持つべきなのかもしれない。

 

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