Entry

フランスで最も愛されたピエール神父

<記事要約> 
2007/1/26/Le Figaroより[フィガロ (Le Figaro) は1826年に創刊されたフランスの日刊紙。フランス国内では最も古い歴史を持つ。 論調は中道右派。発行部数は約33.7万部(2005年)。]

フランスの慈善団体Emmaüsエマウスの創立者、ピエール神父の国葬が1月26日、パリのノートルダム大聖堂でとり行われた。この葬儀にはジャック・シラク大統領をはじめド・ヴィルパン首相、サルコジ内相などの政治家も出席した。また歌手や俳優などの芸能人と共にエマウスの各国メンバーの姿もあった。

大聖堂前広場では厳しい冷え込みにもかかわらずピエール神父と最後の別れをしたいという人々が多数集まった。その遺体はエマウスのメンバーたちが眠るノルマンディー地方の墓地に葬られた。


<解説>
芸能人やスポーツ選手よりも人気があり、長年にわたり有名人好感度ナンバーワンだったピエール神父が1月22日にパリの病院で亡くなった。1912年生まれ、享年94歳だった。

シラク大統領はすぐに「フランスじゅうが死を悼む」と声明を出した。テレビ、新聞、雑誌も競ってピエール神父の特集を組んだ。たとえば日刊紙ル・パリジアンは紙面18ページの大特集で清貧に甘んじ、弱者の立場に立つその生き方を「貧者の教皇」と称した。

また国葬となった葬儀の模様はテレビ局が全国に生中継した。人々はハンカチで涙をぬぐいながら、手が痛くなるほど拍手をして、その死をまるで自分の家族を失ったかのように悼んだ。これほどの有名人をはたしてどれだけの日本人が知っているだろうか。きっとその存在すらほとんど知られていないのではないだろうか。

彼の最も知られている活動は不用品の回収と再販売を行うエマウスを創立したことだ。衣類や雑貨から家電製品に至るまで、一般家庭で不要となった品物を分別・修理して、安く販売するのである。これによって住む家のない人、貧困にあえぐ人たちに仕事を提供し、生きる勇気を与えたのだ。そのような地道な活動が全国に知られるようになったのは、1954年の冬だった。

マイナス10度以下となった凍てつくパリ。そんな時にアパートから追い払われた女性が路上で凍死した。このニュースを知った彼は、ラジオに出演し「友よ。助けて!」と国民に向かって支援を呼びかけた。その放送は人々の共感を呼び毛布や食糧、寄付金がぞくぞくと集まった。

彼の活動がきっかけとなって、それまで見向きもされなかった路上生活者たちにも社会の目が向けられるようになった。そして家賃が支払えなくても冬場はアパートから撤去させられないという法律までできた。現在ではエマウスはフランス国内に40ヶ所の拠点を持ち、1400人の従業員、5000人のボランティアをかかえる巨大な組織となっている。そしてその活動は世界40カ国以上にも及んでいる。

宗教や肌の色で差別せず、人道的立場で最後まで戦い続けたひとりの老神父。そしてその生き方を敬愛するフランス国民の姿。それらを間近に見て、弱者に優しい国、フランスがいっそう好きになった。
  


  • いただいたトラックバックは、編集部が内容を確認した上で掲載いたしますので、多少、時間がかかる場合があることをご了承ください。
    記事と全く関連性のないもの、明らかな誹謗中傷とおぼしきもの等につきましては掲載いたしません。公序良俗に反するサイトからの発信と判断された場合も同様です。
  • 本文中でトラックバック先記事のURLを記載していないブログからのトラックバックは無効とさせていただきます。トラックバックをされる際は、必ず該当のMediaSabor記事URLをエントリー中にご記載ください。
  • 外部からアクセスできない企業内ネットワークのイントラネット内などからのトラックバックは禁止とします。
  • トラックバックとして表示されている文章及び、リンクされているWebページは、この記事にリンクしている第三者が作成したものです。
    内容や安全性について株式会社メディアサボールでは一切の責任を負いませんのでご了承ください。
トラックバックURL
http://mediasabor.jp/mt/mt-tb.cgi/22