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西村佳哲×永江朗 対談 「自分を生かす働き方」

  • MediaSabor 編集部

メディアサボール制作 ビジネスポッドキャスト「ロングインタヴューズ」 第19回目の対談企画。
テーマ: 自分を生かす働き方(放送時間:104分)
■ゲスト:西村佳哲   インタビュアー:永江朗

仕事がしたいのに何をしたらいいか分からない人が増えているといわれています。成熟化、飽和化の時代の中で、揺らぐ職業観、仕事観。どんな仕事に就いたにせよ、「私自身」を仕事に込め、「自分の仕事をつくる」、「自分をいかして生きる」ことに腐心するかしないかで充足感は大きく異なってきます。お客さんでいられないこと、他の人には任せたくないことの足元に、その人ならではの、掛け替えのない<自分の仕事>の鉱脈が隠れています。プランニング&ディレクターの仕事以外に、働き方研究家としての顔を持つゲストの西村佳哲氏は、デザイナーや作り手の働き方についての取材を通して「やり方が違うから結果も違う」という気づきを得ました。そして、それはクリエイターという職種だけではなく、その他の多くの職業の人とも共有できる大切な情報であるとの思いに至りました。ときには原点に立ち返って、仕事、働き方について考えてみてはいかがでしょうか。

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<西村佳哲(にしむら よしあき)氏プロフィール>

1964年東京生まれ。プランニング・ディレクター。武蔵野美術大学卒。建築設計分野の仕事を経て、コミュニケーション・デザインの会社リビングワールド代表。つくる・書く・教える、三種類の仕事に携わる。

ウェブサイトやミュージアム展示物、公共空間のメディアづくりなど、各種デザインプロジェクトの企画・制作ディレクションを重ねる。
多摩美術大学をはじめいくつかの教育機関で、デザイン・プランニングの講義やワークショップを担当。働き方研究家としての著書に「自分の仕事をつくる」(ちくま文庫)、「自分をいかして生きる」(バジリコ株式会社)。
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音源本編から、その一部を切り取った対話を下記に掲載いたします。


(永江)
───西村さんの肩書きの一つにもなっている「働き方の研究」について聞きたいのですが、ビジネス書のコーナーには「仕事術」に関する本がたくさんあります。でも、西村さんの「働き方の研究」というのは、そういったものとは性質を異にしているように思えますが。

(西村)
最初の取っ掛かりの頃は、そうした「仕事術の研究」的な意味合いもありました。

(永江)
───達人たちの優れた技を探りたいという考えもあったんでしょうか。

(西村)
パタゴニアを例にとっていえば、ノースフェイスがあり、マーモットがあり、色んなアウトドア商品のラインナップがあるわけですけれども、パタゴニアという会社の商品だけが他社と質感が違うなということが、20代の頃からずっと気になっていました。で、質感が異なるということは、絶対に商品が作られるプロセスが違うはずだと考えたんです。

忌野 清志郎さんが「楽しみながら創られた音楽と、眉間に皺を寄せて創られた音楽とでは、全く違うものになる」といってまして、それにも通じることだと思っています。坂田明さんと忌野 清志郎さんとの演奏収録で、忌野さんがピアノを弾いていたのですが、なかなか彼自身がOKを出さなくて、「音が硬いから誰か軍手を買ってきてくださーい」とお願いして、その後、軍手をはめてピアノを演奏したんです。そして、「うん、音が柔らかくなった」と言ったという本当か冗談かわからないエピソードがあります。

いいものが出来上がるプロセスというものに興味を抱き、クリエイターを中心に話を伺っていこうということで、あるときに雑誌の連載が始まりました。それが、「働き方の研究」に繋がっていったのです。

(永江)
───西村さんの本の中に、デザイナーや作り手への取材を通して確認したこととして「やり方が違うから結果も違う」という言葉があります。これに関して取材を通じて印象に残っているエピソードを教えてもらえますか。

(西村)
柳 宗理(やなぎ そうり)さんという日本における工業デザインのパイオニアに取材をしたことがあります。とにかく絵(図面など)を描かないというんですね。私自身は、図面やパースを描いたり、レンダリング、ドローイングをしたりしながらデザインを進めるという教育を受けているので、柳さんに「図面を描かないんだ」といわれても、その意味がさっぱりわからないんですよね。「じゃあ、どうやって、ものを作るんですか?」と聞いたら、「作るんだ、君」というだけだったので、理解できなかったんです。

そしたらスタッフの人が見かねて声をかけてくれまして、図面を引く前に発泡スチロールをカッターで削って、いきなり鍋をつくるところを見せてくれたんですね。そのようなことは、手作りの木工作家さんだったら普通のことです。もちろん、図面を引いてからつくる木工作家もいますけど。あと、たとえば陶芸家が粘土を指先でひきながら形を見出していくことも同様です。作りながらリアルタイムにフィードバックをかけていって、その繰り返しの中で形にしていくわけです。そのような1点ものであれば、図面などを描かないのは理解できます。それを工業製品のジャンルで柳さんがやっているということが信じられなくて、非常に驚きました。

それで、柳さんが「最初に思い描いたものが、その通りになるなんてことは嘘だ」と言い始めたんです。「やっていくうちに変わるもんだ」というんです。話としては理解できるので、同意しながら、さらに聞いていきました。

移動体(電車、クルマなど)のデザインで有名なアメリカの学校があるのですが、柳さんが、そこでの講演について話してくれました。アメリカのそうしたカーデザインの学校においては、マーカーを使って流線型を描いて、デザインモチーフは卵です、といったことをやるんです。シド・ミードが描くスケッチ画の雰囲気といいましょうか、未来感、躍動感があるイメージです。柳さんが、そこでの講演に招かれた際に、その学校でやっていることを見せられているうちに、段々、ムカムカしてきたそうなんです。これはプレゼンテーションのためのデザインであって、モチーフが卵とかいうのは、クルマを使う人にとっては何の関係もない、と感じたそうです。そうした怒りがピークに達したときに講演の壇上に上ったようで、その怒りをそのまま聴講者に向かってぶつけたんですね。そうしたら会場はシーンと静まり返り、話が終わって壇上から降りても拍手ひとつ起きなかったそうです。

柳さんは部屋に帰り、ちょっと言い過ぎたかなと反省していたそうなんですが、そこにコンコンとドアを叩く音がして、ヨーロッパのバウハウス系の、つまり、工房で試行錯誤しながらデザインワークをするという伝統のなかにいる先生方が、「先ほどの講演で、溜飲がさがりました」と次々に握手を求めてきたそうです。その後、柳さんは欧州の造形関係の学校で教鞭をとることになったといってました。そうしたエピソードを楽しく聞かせていただきました。

(永江)
───でも、そうしたデザイン上のアプローチは、誰にとっても応用が可能なものなんでしょうか。

(西村)
私が、一連の取材で得られたことを本にまとめようという意欲を持ったのは、それがデザインの分野だけのことに止まらないもので、多くの人と共有したいと思えたからなんです。端的にいえば、一般的な仕事にしても、あらかじめ設計図のようなものを描いてからやるのではなくて、やりながら段々、姿を現してくるようなものだともいえます。たとえば、ギターの腕が上達してからストリートで演奏するんだといっている奴は、なかなかうまくならなくて、弾けないのにストリートに立ってしまう奴がうまくなっていくんですよね。だから、とにかく始めるということ、手元にあるもので、まずは作ってみるということは、とても大きな学びでした。自戒も込めてなんですけど、「いつか」といっている人に「いつか」はなくて、すぐにでも始めることができるんだということを柳さんから学びました。

(永江)
───ヨーガン・レール(テキスタイルデザイナー/ファッションデザイナー)さんにも取材されていますね。ヨーガン・レールが生み出す、なんともいえない質感が、仕事のスタイルとどう結びついているか、興味深いところです。

(西村)
雑誌の連載時の取材から数年後に、ヨーガン・レールさんの会社の担当者から、展示会のDMのコピーを書いてほしいと依頼がありまして、久しぶりにヨーガン・レール氏に会ったんです。その展覧会は、氏が世界中で集めてきた石に関するものだったんです。その石というのは色んな層が入っていて、それが川床で磨かれて丸みを帯びているので、輪っかが幾重にもできている不思議な石です。氏に、どうやって集めたんですかと聞いてみました。

以前からずっと集めているとのことでした。世界各地に一緒にものづくりを行っている人たちがいて、そこに行ったときに近くで石を探すんだそうです。それで、インドでの話だったかな? ある地域の干上がった川床にある石ですが、氏は、そこに行くと3日から4日滞在して、朝食を食べて、お弁当と水を持って川にいって、日が暮れるまでずっと石を探してるんですって。ワァーっと思うような石だけを選ぶのですが、それは1日に4個か5個だけだそうです。

私は、その話を聞きながら、氏がつくる服の独特の質感というのは、そういうところからきているんだなと感じました。氏が美しいと感じる自然の世界観がプロダクトに反映されているのだと思います。

(永江)
───私もよくクルマで出掛けていって海岸で石を拾うことがあるのですが、今の話を聞くと、なぜ、私がヨーガン・レールの服が好きなのかがわかるような気がします。

色んな人の働き方を研究していくなかで、西村さん自身の働き方は変わりましたか。

(西村)
私は、グループワーク、プロジェクトワークのなかで自分がどんなことができるのかということに興味を持っていて、ミーティングの持ち方とかデザインモチーフの共有の仕方とか、なるべく早く手元にあるものでプロトタイプをつくることだとか、そういうことについて学びました。でも、一番の収穫はそれではないんです。話を伺った人には、たとえばパンをつくる職人、サーフボードのシェーパー(サーフボードの原型を作る職人)、プロダクトデザイナー、グラフィックデザイナー、服飾メーカーの人などがいました。それらの人たちは、同じような感じを持っているんですね。それが何なんだろうと、ずっと引っかかっていたんですが、言葉にならなかったんです。

で、ドラフトというデザイン集団を率いる宮田識さんという人がいまして、デザインの現場のインタビューをしにいったんです。怖い方だと聞いていましたので、びくびくしながら行きました。職場の状態をみると、働き方の工夫が感じられたので、それがどういうところからきているのかという、すごく抽象的な質問を投げかけてみました。軽い気持ちの質問でしたので答えはあまり期待してなかったのですが、意外にもビシっと返ってきて、「違和感を手離さないことです」と言われたんです。

私は、それを聞いて、ずっと頭の中に引っかかっていた最後のワンピースをゲットしたような気分になり、さらに掘り下げて聞いてみました。それがどういうことかといいますと、日常生活を送っていて、たとえば、電車の中のつり革が、おでこにぶつかるなあとか、自動改札を通るときに思った疑問とか、なんだっていいんですけど、こういうもんだと流さずに、ずっと持っておくんだということです。それらのことは、そのときに解決できなくても、10年くらい経ったらいつの間にか解決できていたり、解決できる条件が整っていたりするものですと言ってくれたんですよ。ということは、何をどうするかということ以前に、何をどう感じているかということだし、しかも、それを流さないという1点なんだなあということに気づかされました。それが、一連の取材活動における最大の収穫でした。

私がそのときに手に入れたと思った「違和感」というのは、要するに別の言い方をすると、それは「喜び」でもよくて、自分が感じていることを流さずに保持しておくということなんです。たとえば、会社で新しい商品企画やサービスの打ち合わせがあったとします。そこで、こういうことをやると、こういう人たちが悲しむよね、とか、あるいは、これは別になくても大丈夫だよね、といった思いを誰かが抱いているとしても先に進まないので、そうした部分には触れずに、とりあえずそれを形にする方向にエネルギーを使うことが、ままあると思うんですね。でも、自分がそのときに感じていることに触れないで、ものごとが進んでいくということは、自分に対する接続不良といいますか、感覚遮断することになりますので、段々、実感が薄れていき、実感との接続が弱い仕事になっていきます。いわば、頭と指先だけでこなす仕事になりますが、そうした仕事には、ある種の空虚感が生じてしまうのです。

私は、プロジェクトを進めていくなかで、会議の一つの形式として、ときどき、「独り言大会ミーティング」というものを開きます。プロジェクトのキックオフ時あるいは、ある程度分業が進んでいった頃に開きます。これは、メンバー各人がプロジェクトに関することで何を言っても良くて、但し、他の人が言ったことに対して解決しようとしないスタンスで行われます。そうすると、みんな色んな話をするわけです。たとえば、こういうことが気になっていて自分は力を発揮できないんじゃないかと思っているとか言います。続いて、別の人が思っていることを発言します。各自が発言しているうちに、「自信がないんだ」と言った人が、「さっきは、ああいうふうに言ったけど」と話し始めるんですよ。なんといいましょうか、自分の、ある感覚的な気持ちみたいなものは、1回他の人に受け取ってもらえると、自分で先にいけるんです。このようなミーティングの効用は動脈硬化的なものが起こりにくくなるということです。そのときに解決しなくても、お互いが状況や考え方を共有していると、組織が有機体になっていくといいますか、必要なカバーリングを各自がそれなりに行うようになります。「違和感を手離さない」という言葉は、こういうところにも活きてきます。

(永江)
───私は、学生と接する立場になって痛感しているのですが、職業観や働くことが捉えにくい世の中になっているように思います。昔のように、とにかく食べていくために自分ができることを何でもしなきゃいけないんだといった切実さとは違うのですが、世間体なのか、アイデンティティのためなのか、何らかの職業に就かなければならないといった脅迫感は、すごくあり、そこで学生がもがいているように感じます。しかしながら、普通の職業人になることが困難な時代になっている今、彼らなりに納得のいく職業観を提示するとしたら、どうすればいいんですか。

(西村)
難しい質問ですね。私が、プレデザインという授業の中で学生に問うことの一つとして、たとえば、デザイナーになりたいんだとしたら、どんなデザイナーになりたいのかを考えさせます。その答えを知っているのは本人です。それを何時間かかけて、お互い語り合ったり、確かめ合ったりする日があります。どんなデザイナーといっても、グラフィックデザイナーとかプロダクトデザイナーとかといった分野の話ではなくて、その仕事を通じて、どんな自分でいたいのか、ということです。

建築家になりたいという人がいたとして、あるカテゴリーに存在する建築家の中には、素晴らしいと思う建築家もいれば、ああはなりたくないと思う建築家もいるはずです。建築家をひとくくりにすることはできないんです。そう考えますと、肩書きや職能が重要なのではないことになります。ライターになりたい人がいたとして、その仕事を通じて、どんな時間を過ごしたいのか、どんな人との関わりを持ちたいのか、について考えさせてみるんです。さらに深く掘り下げて聞いていくと、もしかしたら、本人は書くということよりも聞くということのほうにウェイトがあるという発言が出てくるかもしれません。その場合、必ずしもライターでなくても、やりがいを感じる仕事があるのかもしれません。占い師とか美容室で働くことも選択肢に入ってくる可能性があります。

自分が持っている能力や可能性を燃焼させて生きていきたいと誰もが思っているはずです。自己のアビリティや可能性が世間的には小さなものであっても、自分自身が納得のいく形で本領を発揮できたら充足感をもつことができると思うんです。自分が抱えているエネルギーを何らかの形でリリースしたい欲求があって、そんな願いを持っているときに、その人の人生経験のなかで身の回りを見回したときにライターという仕事がパッと目に入ってきて、そのカードを抜こうとしている、そんな図式ではないかと思っています。自分がどんなことに萌えるのか、それを具体的な職業ではなくて、一度抽象化して考えてみることで視野が広がるとともに応用がききます。


<全体の対話項目>
◎プレデザイン(プリプロダクションの技法)について
◎高校から大学進学への進路選択
◎鹿島建設勤務時代
◎転機となった感性産業研究会での出会い
◎独立後の活動
◎働き方研究に取り組むことになった経緯
◎働き方研究に関する取材で出会ったクリエイター
◎働き方研究の取材がもたらした自身への影響
◎捜し求めていたものが見つかったと感じたデザイン集団ドラフトを率いる
   宮田識氏の言葉「違和感を手離さないこと」
◎成熟化時代に揺らいでいる若者の職業観、職業選択
◎自分を生かす働き方

 (2010/04/23収録)

 


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