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景気後退、派遣労働者切り捨てで、学習塾大繁盛へ 14年後の日本考(6)

 「風が吹けば桶屋が儲かる」との例えはあまねく知られている。これをもじれば、不況下の今日の現状は「派遣切り捨て報道が増幅すれば学習塾が繁盛する」と換言できる。シリーズ(2)で「労働者派遣法の相次ぐ改正で、97年からの10年間に500万人もの正規雇用者が非正規雇用者に置き換えられた。こんな事態は世界恐慌や戦時下ならともかく平時にはなかった」との労働経済学者の発言を引用した。昨年後半から満を持したとばかりに雇用調整弁である非正規雇用者の大量解雇が相次ぎ、難民扱いのテント村設置、炊き出し救援活動などの報道に接し、これまで学習塾にやや懐疑的だった受験期の子供を抱える母親らが態度を豹変させつつある。「子供に安定した職業を」との志向が一層高まり、塾経営者には好機到来となっている。子供や関係者はこれをどう受け止めているのだろうか。


■「正社員になるのが夢」

 不登校児の社会適応化と通常教育機関=公教育への復帰を目指し設置されている、首都圏所在のNPOフリースクールの教務担当理事が「景気後退がはっきりしてきた昨年(2008年)10月以降、うちに入学した子、あるいは入学相談に訪れた中高生の中に『将来の夢は正社員になること』『派遣社員やフリーター、ニートにはなりたくない』と語る子が増えています」と苦笑いしながら打ち明けた。「これが彼らの公教育復帰へのバネになればそれに越したことはないのですが…」と複雑な表情で語った。

 知人に頼まれて大学受験を希望する近所の高校3年生に週一度英語を教えている。先方の自宅を昨年8月に面談で訪問した。事前に母親から「とにかく意欲がなく、まともな大学には入れそうにありません。『将来、何がしたい』と真剣に考えている風もない」と告げられていた。そこで初対面の時に、「どうして大学で勉強したいのか」と聞いた。返って来た答えは「僕、普通でいいです。今大学に入るのは普通だから」だった。そこで「君の考えている『普通の人』って何?」と突っ込んだ。しばらく考えた後、「両親にフリーターだと老後が大変だといつもいわれる。きちんとした会社で働くことでしょ」とか細い声が聞こえてきた。

 「分別の付き始めた小学校高学年の子どもたちが語る将来像に、『普通の大人になりたい』という漠としたものが近年目立ってきた」。あるベテラン小学校教師(52)はこう切り出し、「親自身に『(子供は)世間並の迷惑をかけない大人になってくれればよい』との志向が目立つ。私が20から30代の時は医師、スポーツ選手、エンジニア、アナウンサーなど具体的に答える子が圧倒的に多かった。それがはっきりと減少している。物質的に豊かになりすぎた中で育った若者の無気力現象が小学校高学年ですでに現れ始めている」と明かしてくれた。


■「負け組」親子の葛藤

 小中学生の親の年齢は大半が30代から40代である。高校生の両親の年齢も40代が多いと推定できる。今年40歳となる親であれば1969年生まれ。小学校に入るまでに日本社会は「平均所得世帯」がマイカー、クーラー、カラーテレビを所持する3C時代に突入していた。30代前半の親であれば、生まれた時すでに敗戦後ははるか遠くなり、日本は「豊かな消費社会」へと変容していた。

 戦後の焼け跡闇市、食糧難、犯罪多発といった殺伐とした世相、また戦前の小作農らの想像を絶する貧困の体験を語ってくれる人も少なく、せいぜい幼少時に祖父母らが話してくれた苦労話などが断片的に脳裏に残っている程度ではあるまいか。

 このような「豊かな日本」に生を受けた両親らにとって、昨年末からメディアが連日これでもかと伝えている、寝場所さえ奪われた失業者の群れのビジュアルに接するのはおそらく初めての体験だったはずだ。さらに、「今回の金融危機は100年に一度の津波」とのグリーンスパン元米連邦準備制度理事会(FRB)議長の発言が、執拗なまでに日々繰り返し報道されれば、3C世代以降の親とその子供らの受けたショックが激しかったことは想像に難くない。

 実際、近所の高校生の母親(43)は出会った当初は自嘲気味に「うちの子は『受験負け組』です」と語り、「大学と名が付けばどこでも」といった投げやりな気持ちを露わにした。だが、今は「ブランド大学は高嶺の花。でも浪人させて、せめてピラミッドの中間くらいにある名のある大学に合格させたいと考えるようになった。今年はとても無理ですから、来年を目指して予備校に通わせます」と態度を一変させた。


■学校欠席しても塾通い

 会社記者時代に知り合った都内に住む某大手商社OBの知人(68)が中学生2人の母親である長女(39)を紹介してくれた。孫は中2(男)、中1(女)の年子。この母親は「息子は塾嫌い。ところが、娘は学校をさぼった日でも午後になると喜々として塾に出かけます」と話した。「塾はビジネスですから生徒はお客様。学校のように叱られることもなく、娘には居心地満点らしい。それに校区内にある塾ですから、クラスメートの多くが通っており、塾が『学級の延長』になっている」と説明した。

 だが、長男も中3になったら近所の塾に通う決意をしたという。理由は2つある。ひとつは3年生ともなるとクラスメート全員が塾通いを始めること、もうひとつは中学の進路指導担当教師が「志望高校の選択と決定は塾でよく相談して決めたほうが良い」と“突き放した”ためという。一般の公立中学は進学に関するデータ量とその解析力において全国にチェーン展開している大手学習塾には太刀打ちできないということらしい。

 今この母親が悩んでいるのは「家族の空中分解」である。これまで唯一母親と夕食を共にしていた息子までが夜9時半過ぎに帰宅となる塾通いを始めると、家族4人はそれぞれが好きな時に食事をする「分食化」をさらに進めることとなる。夫は言うまでもなく「会社一筋」。一家団欒の夕食など滅多にない。「パソコン、携帯は家族全員が持っており、さらに子供はゲーム機を自室に持ち込んでいる。皆が『自閉傾向』なんですよ」と寂しげだった。


■「弱肉強食」が進む受験業界

 一方、少子化の中で学習塾・予備校をはじめとする受験産業のサバイバル合戦はエスカレートするばかりである。「ゆとり教育」を破棄した文部科学省を頂点とする教育行政は公立中高一貫校の増加、さらには公立の小学校と中学校の一体化を促進し、受験産業を側面支援する形となっている。メディアをにぎわした東京の区立中学への学習塾進出は「公教育と受験ビジネスの合体」の象徴とも言えよう。「小学校からの塾全入」を目指している受験業界が今回の不況を逆手に取って顧客数を増加させようと試みていることは火をみるよりも明らかである。

 新聞のチラシをみると、「(幼稚園・小学校の)お受験」から大学受験までの一貫体制を構築した受験企業も出現している。さらには大学生の定期試験、レポート作成指導まで手掛ける企業も散見される。「大学全入化の中、学生数確保に躍起の新設大では在学生の不登校相談室まで設けて、中退者の防止に努めている。退学者を減らすため、定期試験、出席日数の基準などを緩和している」(上述のフリースクール理事)。

 公教育と塾の一体化が進んでいるのに国公立校、学校法人による公教育を監督するのは文科省、学習塾に対する監督権限を有するのは経済産業省だ。経産省担当官によると、学習塾はエステサロン、結婚相手斡旋業、英会話教室など6つの料金前払いを前提とする役務提供業のひとつで、特定商取引法で規制されている。省益優先=縦割り行政体質は相変わらずで、「公教育と受験ビジネス一体化」の現状に共同して対処しようとの機運はまったく生まれていない。文科省担当官は「学習はすべて公教育が担うべき」と言い放った。

 こんな中、日本全国津々浦々に受験業者は進出を遂げ、全国展開の巨大企業が地元中小企業を呑み込む「弱肉強食」現象が進んでいる。総務省統計局のデータは余すところなくこれを裏付けている。

 同統計局は3年毎に都道府県別の学習塾数を公表している。最新のデータは2006年のもので、今年(09年)は現在、調査実施中である。06年の全国レベルの事業所数は51,625で、6年前の01年に比べ1%増にとどまった。だが雇用者数(非常勤講師らを除く)は06年315,060人で01年に比べ14%増と大幅に拡大している。このことは東京や大阪に本部を置く大手業者が全国展開をさらに進め、地方の小規模業者を淘汰していることを示唆している。

 象徴例を挙げると九州の激戦地である福岡県の場合、06年の事業所数は1,781で01年比6.5%減となったが、雇用者数は微増ながら拡大した。愛知県では事業所数は3,501の1.6%増にとどまったものの、雇用者は21,122人と14%増。全国の1割近くの事業所が集中する東京都は事業所数6%増、雇用者数18.5%増の伸び率を示し、埼玉、千葉両県や近畿圏も同様の傾向にある。受験業者の進出が遅れていた北海道の場合、事業所数(1,460)、雇用者数(7,552人)ともに二桁の伸びとなった。

 01年から06年の間は長期の景気拡大となった一方、労働者派遣法の改正で非正規雇用者と正規雇用者との数が逆転し、今日最も議論となっている社会格差と貧困層拡大が問題化し、そして現在進行中の大量派遣切りへとつながる時期である。上述のような学習塾の繁栄はいわゆる「低所得者層」の子供たちも塾に吸収されていっている証と言えよう。今起きている雇用不安は中間層以上の子供を英語、数学といった科目別に特化した塾や個別指導塾などの複数掛けもちを促しているとの指摘がある。この現象は「教育とは何か」との根源的な問いかけをわれわれに突き付けている。

 

【編集部ピックアップ関連情報】

○MediaSabor  2008/12/04
 “塾”も“競争”もない世界一の「教育大国」
http://mediasabor.jp/2008/12/post_538.html

 

 


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