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「米国の医療ケアがいかに父を殺したか」。あらためて考える医療の質

米国で医療保険に加入していない、加入できない人は4600万人以上。医療費は上がり続け、政府運営の高齢者医療保険(メディケア)の財源も先が危ぶまれる。ヘルスケア改革はオバマ大統領の緊急課題だが、増大の一途を辿る政府支出や医療保険の政府管理への反対の声が強く、大きな議論を巻き起こしている。

議論の中で改めて考えさせられるのは、何をもって「医療の質」を測るかだ。米国の一人当たりの医療支出は先進国の中でもダントツに多い。経済協力開発機構(OECD)の統計によれば、2007年の米国民一人当たりの年間医療支出はGDPの16%にあたる7421ドル。OECDの平均は2964ドルでGDPの8.9%である。ちなみに日本の国民一人当たり医療支出はOECDの平均より低い2581ドルで、GDPの8.1%となっている。

平均寿命を比べると、日本人が82.51歳なのに対し、米国人は78.11歳。国連加盟国の中で順位付けると、日本が2位で、米国は35位(米中央情報局の2009年予測)。米国人の85%は、自分達の受けている医療に満足しているものの、これだけ医療に金をかけているのに、結果が長寿につながっていないことから、高額医療システムに対する疑問の声も上がり始めた。

オバマ大統領も、現在の保険制度は「診療の量」に対して報酬が支払われるので重複した検査や過剰診療で医療費が膨らんでいくとして、効率性をあげ「医療の質」や「効果」に対して報酬を支払うような改革を求めている。

アトランティック誌9月号の「米国の医療ケアがいかに父を殺したか」という論文では、筆者のデビット・ゴールドウィル氏が、高齢の父親が肺炎で入院し死ぬまでの5週間付き添った体験から、「病院にとってのお客は患者である父ではなく、高齢者医療保険だった」と書いている。肺炎の段階で治して、患者を退院させることより、院内感染で肺血症になった父親に対し検査や治療を重ね、集中治療室でいつ死ぬかという状態になってもルーティーンの血液検査を続けて診療報酬を稼いだのだから、病院にとって重要なのは患者よりも、診療報酬を稼ぐことではないかと皮肉っているのだ。

もっとも訴訟社会の米国では、できる限りの検査、診療をしないと後で患者や家族に訴えられる可能性があるので、身を守るためにも医者は念のための検査、治療をせざるを得ないという事情もある。しかしゴールドウィル氏の父親の5週間の入院で発生した医療費は手術をしたわけでもないのに63万6687.75ドル(約6000万円)と、日本人には想像もできない金額だ。もっとも政府運営の高齢者医療保険に入っているため、個人負担は992ドル(約9万2000円)だったという。差額については、メディケアの規定で大幅に割り引かれた額を保険から病院に支払う仕組みだ。しかし65歳未満で高齢者保険に入れず、民間医療保険にも加入していない人が同じ状況だったら、約6000万円の支払いを科せられることになるのだ。

オバマ大統領の目指す改革には、政府運営の医療保険をつくり、既存の民間医療保険にさらに競争の原理を働かせることで掛け金を引き下げ、無保険者が加入できる条件づくりをすることが含まれている。国民皆保険制の日本人には理解しにくいが、「政府運営の医療保険」に嫌悪感、恐怖感を示す米国人は多い。

嫌悪、恐怖のもとは、「政府が治療の費用対効果を考えるようになったら、最高の治療を受ける機会が無くなる」、「政府が介入すると利用可能な医療機関や治療が制限される」、「待ち時間が長くなる」といった考えからくるものだ。

患者中心の総合的ケアという考えから、連邦下院の医療改革法案の中に「死期に近い患者が、医師と今後の対応方針を話し合う場合も、診療報酬の対象とする」という内容が盛り込まれたのだが、サラ・ペイレン元アラスカ州知事をはじめとする反対派は、これを政府が「死刑宣告委員会」をつくり、誰が治療を受けられ、誰を放置するか決める政府の管理医療だと論じたため、十分な医療が受けられなくなるのではないかと心配した高齢者とその家族が、民主党連邦議員のタウンミーティングに怒鳴り込む場面が各地で続出した。

4600万人という米国の医療保険難民の存在を考えれば、日本の国民健康保険の存在意義は大きいし、年々伸びてゆく日本人の平均寿命は素晴らしいと思う。それでも今、米国で起きている議論から、改めて「医療の質」をどう評価すればよいのか、という疑問も湧く。

日本でも診療機関を変える度に繰り返される検査。転院しようと思っても、医療記録が簡単に入手できない現状。医療機関や医師間の連携の欠如。3分診療といわれる短い診療時間。世界で使われている薬でも日本では認可されるまでに長期間かかるというドラッグ・ラグ問題。超裕福な患者は世界中から米国の医療機関にやってくるという現状。米国人の85%は自分が受けている医療に満足しているが、日本人の医療に対する満足度はどうなのだろう?

<関連リンク>

http://www.oecd.org/dataoecd/45/51/38979974.pdf 
(OECD 医療支出各国比較)

http://www.theatlantic.com/doc/200909/health-care 
(英語 米国の医療ケアがいかに父を殺したか)


【編集部ピックアップ関連情報】

○アゴラ 2009/08/25
 「医療保険制度の改革」で苦境に立つオバマ大統領
 アメリカでは公的な医療保険制度は日本のように手厚くなく、
 自分で保険をかけていない多くの人達には病気になったときの
 保障がありません。この状況を問題視する人達は多く、従って、
 「公的な医療保険制度の抜本的な改革」がオバマ大統領の選挙時の
 公約の大きな柱の一つにもなっていました。
http://agora-web.jp/archives/729547.html


○医学教育でのひとりごと 2009/09/10
 「オバマ大統領が、医療保険制度改革で議会や国民へ演説するそうです」
 あのような経済大国で、医療保険がカバーされていない国民が
 何千万人もいる、というのが、「国民皆保険」の国の医療保険制度の
 中で仕事をして来た私には、びっくりなのですが、たぶん、
 アメリカ国民はこんなことを考えているのかもしれません。
http://nakaikeiji.livedoor.biz/archives/51614255.html

 

 


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