Entry

「都市の近代化」に大焦りのデリーと劣悪な環境汚染の実態

<記事概要>

デリーの学生に「現在、最も問題視されるべき事は何か」というアンケート調査を行ったところ、「国内では人口増加問題が一番の問題だ」と答えた生徒が一番多く、今回の調査で彼らの環境問題に対する意識の欠如が露になった(確かに人口増加は問題だが)。

深刻な問題となっているインドの河川の公害問題については知ってはいるものの、「なぜ汚染されているのか」についてはろくに知らず、ゴミはゴミ箱に捨てるべきだと知識では知ってはいるものの、実際にゴミをゴミ箱に捨てるようにしているのは30%に満たないという結果も出た。

また、「世界規模で問題視されるべき事」についても、地球の温暖化などの環境問題を答える生徒は半分以下でトップはAIDS問題であった。

調査結果は「デリーの若者に現在最も必要なのは、環境問題への責任と、環境悪化への警告である。教育に環境問題を学ぶ場を設けるべきだ」という内容でまとめられた。


<解説>

現在、デリーでは「都市の近代化」が急ピッチで進められている。

ゴミ溜めのような街の衛生化、劣悪な道路の整備、深刻な電気不足と水不足への対処、魚も住まない川の水質汚染の改善、猿や牛の排除、路上生活者問題、女性が夜は出歩くことができないほど悪い治安の改善、渋滞緩和のための高架道路の建設、違法建築物の撤去、違法商業取締りなど、問題はこれでもかと言う程にてんこもり。

「都市近代化」関連のニュースが新聞に載っていない日はなく、問題がいかに山積みか、いかにデリーが焦っているか、が新聞を通してだけでもよく分かる。

なぜデリーがこんなにも焦っているのかというと、ひとつは、2010年にデリーで開催予定のコモンウェルス大会が迫っているからである。「それまでに国際レベルの都市にならなければ」と、少々パニックめいてすらいる。

焦っているもうひとつの理由は、急速な経済発展に伴って急増し続けているデリーの人口と、「近代都市に相応しくない」路上生活者などの大量の貧困層への対処として、2021年までに新たに1000万人の住民を受け入れられる街づくりを目指す「マスタープラン・フォー・デリー2021」計画の遂行だ。

山積みの「都市近代化」問題のひとつ、ヤムナー川(デリー郊外を流れる川)の深刻な汚染問題についても先日、「改善に何年もの月日と400億円を費やしたが、汚染が更に進行している事だけが発覚した」という情けなくも悲惨なニュースが話題になった。

実際、ヤムナー川の汚染はものすごく、魚も棲まないどころか、その川の水を生活に直接使っている最下級層の人々は、後に深刻な病気にかかるだろうと言われている程。電車の窓から見る、河川沿いのスラムの有様は「筆舌に尽くしがたい」。表現がきついかもしれないが、動物でもあそこまで不潔な暮らしはできないだろう。

なぜ、ここまでひどいのだろうか?

カースト制度による徹底した分業制の影響があると私は思う。

ここでは、個人がそれぞれ自分で自分の責任を負わなくてもいい、とも言えそうなシステムが機能しているように思われるのだ。「これはゴミ屋の仕事、あれは掃除屋の仕事。だから俺は関係ない」。一段下れば、今度は掃除屋が「これはもっと下層のトイレ掃除屋の仕事だから俺は関係ない」。

この国でゴミをちゃんと捨てる人など私はただの一度も見た事がないが、それはこういった文化の延長線上の事だと思う。

お金と身分の差によって「これは私の仕事ではない。私には関係ない」が、細部に渡って堂々と宣言可能な社会。なぜならば一ヶ月120円でゴミをかき集めて暮らす階層、ゴミ溜めの中からビニール類を拾って売って生計を立てる身分までがれっきとして存在するからである。

ここでは、「お金持ちになればなる程、責任が増す」のではなく、逆で、お金持ちになれば成る程、権力を持てば持つほど、責任から逃れられるようなシステムがあるように思われ、責任転嫁と弱肉強食が目に見えるようにはびこっているように見える。

はした金でお尻まで召使に拭かせたという、昔のどこぞの王様の話も、全く冗談には聞こえないのだ。

そんなカースト制度も、もっと時代の流れがゆっくりで、上に立つものの立場と責任がちゃんと教えられていた間は、ある意味においては、ちゃんと機能していたのだと思う。「てんでバラバラのようでも、トータルで見るとまとまっている摩訶不思議な国」の名は、まさにこの文化の賜物でもあったのだろう。

どういう事かというと、例えばインドでは、掃除屋、ゴミ屋、食器洗い屋、子守り、食事を作るサーバント、洗濯屋、ドライバー、などが皆「ひとつの家庭の運営」に関与しており、家事ひとつをとっても「異カーストによる共同運営」と言ってよさそうな様相を呈しているのだ。この様子はうまく回っている限りは、確かにある意味、「非常に理にかなっているシステム」に見える事も多々ある。

だが、この急激すぎる高度成長がある意味においては「うまく回っていた」と言えるカースト制度の歯車を狂わし始めているのだと思う。力を急激につけ始めた者たちが、この制度のうまい部分だけを利用し始めているように見える。

ガンジス川と並んで神話時代から崇められきた、「聖なる川」ヤムナーの汚染と自分たちのひとつひとつの行動の関係性について考えずに、「インドの足を引っぱっているのはあいつらだ」(←富裕層のインド人からよく聞く発言)と低階層の人々に責任転嫁している間は、聖なるヤムナー川は自らを汚れで満たし、本物の解決を訴え続けるだろう。

更に、ゴミがバナナの皮などの有機物だけの時代も終わった。地球が消化できないゴミで、川はおぞましい姿となっている。


2010年のコモンウェルス大会用の宣伝ではヤムナー川沿岸を「絵のように美しい場所」とうたっているそうだ。そして街のそこかしこに、「近代的」なオブジェらしきものが突如出現したりしているここ数年のデリー。雑巾以下の布をまとった労働者がその、場違いでわけのわからない物体を建てている。

確かに型から入ることもひとつの手だが、「表面的な事ばっかりして何になる」という多くの意見の通り、それらの景色が皮肉に見えないとは言い難い。

下層の人々は今日のパンの事で頭がいっぱいだ。それはしごく当たり前のことだと思う。やはり、「母親が皿を洗うのを見たことがない」「トイレ掃除などという品位を下げる事をするなんて」という状況の富裕層の意識の変革が今、デリーの最もやるべき事ではないかと思う。

「自分の出したゴミを自分で片付ける事」、の普及でヤムナー川をきれいにする方が、遥かに安く済み、確実で将来性がある。少なくとも400億円を費やした挙句悪化した、などという事にはならないだろう。

もちろん、私たちも「ゴミをゴミ箱に捨てるくらいはできる」からOK、なのではなく、自分たちのレベルで、地球への責任について常に考えるべきなのは同じだが。



  • いただいたトラックバックは、編集部が内容を確認した上で掲載いたしますので、多少、時間がかかる場合があることをご了承ください。
    記事と全く関連性のないもの、明らかな誹謗中傷とおぼしきもの等につきましては掲載いたしません。公序良俗に反するサイトからの発信と判断された場合も同様です。
  • 本文中でトラックバック先記事のURLを記載していないブログからのトラックバックは無効とさせていただきます。トラックバックをされる際は、必ず該当のMediaSabor記事URLをエントリー中にご記載ください。
  • 外部からアクセスできない企業内ネットワークのイントラネット内などからのトラックバックは禁止とします。
  • トラックバックとして表示されている文章及び、リンクされているWebページは、この記事にリンクしている第三者が作成したものです。
    内容や安全性について株式会社メディアサボールでは一切の責任を負いませんのでご了承ください。
トラックバックURL
http://mediasabor.jp/mt/mt-tb.cgi/157