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「メディアの中立性」と「中立的なメディア」はちがう― 選挙におけるネット活用

よく「メディアの中立性」ということがいわれる。新聞やテレビなどのマスメディアは、その社会に対する影響力が大きいから、特定の勢力や立場に偏った情報を提供して人々の判断を誘導してはならず、中立的な立場を貫かなければならないというわけだ。

特に選挙などの場合には、政見放送にせよ一般的な報道にせよ、特定の政党や候補にとって有利不利にならないよう、放送内容や回数などについて、法律でうるさく決められていたりするし、選挙期間中は候補者が自分のウェブサイトを更新することすらできなくなる。

それでも、選挙報道に関しては、毎回必ずなんらかのトラブルが起きる。先日行われた東京都知事選でも、ある候補の政見放送の模様がアメリカの動画投稿サイト「YouTube(ユーチューブ)」で大量に配信されたとして、東京都選挙管理委員会が削除を要請したという。

●外山恒一 2007年都知事選 政見放送


報道によれば、「都選管は『テレビの政見放送は候補者1人あたり5回と決まっており、この候補の映像だけが自由に見られると公平性が保てない』と判断」(2007年4月6日付朝日新聞)したそうだ。

なんとも奇妙な話だ。そもそも、実際に投稿された動画を見た人には、それらが当該候補者を選挙で有利または不利にするためになされたものではなく、その候補者の奇天烈な主張や態度を面白がるためのものであったということが一目瞭然でわかるはずだが、そういう個別の事情を除いたとしても、従来型のマスメディアを想定して作られた規制をインターネットのようなメディアに対してそのまま適用するのは、やはりどうもおかしい。

考えてみると、マスメディアに対して、伝える情報の内容の中立性が求められるのは、突き詰めればその技術的、経済的な制約に起因する。人々に情報を伝えるということには専門的な技術が必要であり、誰もが行うことはできない。

マスメディアという情報伝達のプラットフォームは、社会において「希少な資源」であるわけだ。そして、それを通して情報を伝えるにもコストがかかる。だから、自らの情報を伝えたい者にとっては、資金力の差が伝えられる情報量やその影響力の差につながるわけだ。

政治のようなテーマで、経済的状況の差によって意見を伝える機会に差が生まれてはならない。だから、「すべての『伝えたい人』に充分な機会を与える」ことが不可能であれば、逆に「すべての『伝えたい人』」に等しく不充分な機会しか与えない」ほうがまし、ということになる。

しかし、このような制約は、インターネットにおいては大幅に減少した。もちろんネットにおいてもマスメディア発の情報の影響力は大きいし、資金力の差が情報伝達力の差につながりがちなのも事実だが、一方で誰でも手軽に情報を発信できるようになっているし、情報伝達のコストもきわめて低い。

情報の影響力も、それをどのメディアが伝えるかではなく、情報の内容自体によって決まる部分が増えている。情報を伝えることができる立場の希少性はかつてなかったほどに低下しているのだ。

したがって、インターネットにおいては、「すべての『伝えたい人』」に等しく不充分な機会しか与えない」規制の必要性は小さい。「すべての『伝えたい人』に充分な機会を与える」ことがさほど困難ではない以上、それを奪う弊害のほうが大きいからだ。

上記の都選管の例でいえば、特定候補の動画の削除を要請する代わりに、すべての候補の動画を、見ることができるようにするほうが、はるかに生産的だと思う。

そもそも政見放送が政治的意見を人々に伝えるためのものである以上、それが人々に見られることに問題を感じるほうがおかしいし、そのためのコストも無視できるほど小さいだろう。資金力のない人々にも政治的主張を広く伝えうる手段が現れたことをむしろ歓迎すべきではないか。候補者のウェブサイト更新も同様で、候補者自身が低コストで発信できるメディアの活用を禁ずることなど、本末転倒としかいいようがない。

ネットを利用した選挙運動の「解禁」について、政治家の間ではネガティブキャンペーンを懸念する意見が根強いらしい。有権者の判断力は信用できないというわけで、バカにされたものだと思う。

しかしネガティブキャンペーンなら、今でも実際には、必ずしも中立とはいいがたいマスメディアにおいてさかんに展開されているし、地元で中傷ビラが出回ることだって日常茶飯事だ。ということは今の政治家の皆さんもそうしたネガティブキャンペーンに踊らされる有権者に選ばれたということになるわけで、「天に唾する」とはまさにこのことだろう。

インターネットは、情報メディアを技術的・経済的な制約からかなりの程度解き放った。メディアになれる立場が広く開かれるようになったわけだ。こうした環境下での「メディアの中立性」は、「個々のメディアが中立であること」を必ずしも必須の条件とはしない。

もちろん影響力の強い既存マスメディアにある程度の不偏性を求めるのは当然としても、すべてのメディアが同様の規制を受ける必要はない。誰もがメディアを持ちうるのであれば、さまざまな意見を自由に主張できるようにしていったほうが、情報の偏りは少なくなる。

「中立性」は個々のメディア単位ではなく、全体として成り立っていればいいのではないか。選挙におけるインターネットの利用に対する法律的な制約は、早急に撤廃ないし大幅に減らしていくべきと考える。


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