Entry

「ネットは能無しを大量生産している」 市民メディア、ブログが台頭するジャーナリズムの行く末は?

「インターネットは個人発信の面白そうなブログにあふれている。 皆さん、ウエブ上の市民ジャーナリズムを無条件に持ち上げている。俺は違うね。俺に言わせれば、インターネットジャーナリズムの普及が推進しているのは多様化なんかじゃない。一般的な常識や社会観点の欠落したアホの量産だ。一日中コンピュータの前に座って、世界で何が起こっているのかを知ろうともせず、自分の知りたい情報のみにアクセスし、単語も満足につづれず、地図を見てもシカゴの位置を指し示せない能無しが大量に社会に出てきている。さらにまずいのは、やつらの多くが自分がアホである事に気づいていない事だ。オタクな知識がやたらとあるばかりに、自分は結構知的だと思っていたりする。こういう社会はどうなっていくのか? もうすぐ分かるだろう。まあ、ろくな事にはならないと思っているよ。」(FOXニュースインタビュー John C. Dvorak) 


今月、TECHライターとして評価の高いドヴォラックがブログをはじめとする市民メディアに対して放った辛らつなコメントは、市民メディア推進派に大きな衝撃をもたらした。既存のメディア関係者ならともかく、インターネット関係のジャーナリストとして、ドヴォラックは当然市民メディアを賞賛する側だと思われていたからだ。

ドヴォラックは言う。新聞やTVの衰退によって、人々は共通のビジョンを持たなくなってしまった。世界経済の現状や、アジアで起こった地震や、ホットな政治のニュースをまったく知らない人々が増えている。皆が同じ新聞を読み、3大ネットワークのニュースを見ていた時代には、ウォータークーラーの周りで社会を論じる光景は一般的だった。いまや人々は共通の話題を失いつつある。テクノロジーのおかげで、自分の欲しい情報だけにアクセスしている結果、社会的なビジョンの欠落した人間が大量発生している。

重要なニュースはある程度押し付けてでも世に知らせるべきである、というドヴォラックの主張に対し、ネット上で非難の嵐が巻き起こった。「メディアの画一化した情報を受け取る時代よりははるかにましだ」「情報の選択は個人の自由だ」etc。

この議論、かつてホリエモン(株式会社ライブドアの元代表取締役社長CEO  堀江 貴文)とジャーナリストの江川紹子の間で交わされた論争とそっくりそのままだ。当時、大手マスコミを買収し、市民メディアを作ろうとしていたホリエモンは、人々が興味を持つニュースこそバリューがあると主張し、重要なニュースはたとえポピュラリティーが低くても伝えるべきだとする江川紹子と真っ向から対立した。

ホリエモンは、人々の興味の度合いによって表示順位が決まるニュースメディアを構想し、江川は「それでは人権問題等の重要なテーマが芸能ニュースの陰に埋もれてしまう」と反対する。ホリエモンが堀の中に落っこちてこの議論もチャラになったが、「重要なニュースを人々に伝えるというニュースメディアの使命」VS「情報の選択は人々の自由意志」という問題は、決着がつくどころか現在も延々と続いている。

ドヴォラックの言うように、ある程度の押し付けがないと人間は何かを学ぼうとしない。一部の賢明な人はさておき、私を含む凡人たちが安きに流れてしまうのは世の習いだ。そうした意味では、「インターネットがアホを量産している」というドヴォラックの過激な主張もある意味当たっている。インターネットを情報ツールとして駆使し、効率的な情報収集をする人がいる一方、世の流れには興味を持たず、ひたすら自分の世界に閉じこもる層も確実に増えているのだ。

ともあれ、市民メディアの隆盛は今やとどめようがない。ブログやYouTubeの勢いは、既存のメディアをいよいよ追い詰めている。こうした中で、メディアとは何か、という問題も提示され始めている。市民メディアが力を増していくにつれ、それらの内包する情報確認の甘さや倫理観の欠如がクローズアップされているのだ。

情報のプロフェッショナルである新聞記者やレポーターは、こうした点を突いて“市民メディアはジャーナリズムではない”と主張する。こうした声を、自分たちのテリトリーを荒らす市民メディアに対するやっかみと受け取るのは間違いだ。市民メディアと呼ばれるものの中に、いわゆる“荒らし”的なものが多く存在する事は間違いないし、情報としての信頼度の高さはやはり既存のメディアが一番である。

米国ワシントン大学で、メディアの未来についての興味深い研究が行われている。新聞やテレビで長年の経験を持つジャーナリストと、デジタルコミュニケーションを研究する学生のコラボレーションにより、メディアの未来を模索しようというプロジェクトだ。Flip The Media (既存のメディアをひっくり返す)という挑戦的なタイトルだが、その目的は、どちらかがどちらかを駆逐するといった偏狭な未来像ではなく、2つを統合した新しいメディアを創造することだ。

既存メディアの現役記者とインターネット世代の研究者の活発なやり取りの中で、一つの可能性が見えてきている。それは、市民メディアが情報発信をし、大手メディアはそれをjudge(検証)する、という役割分担だ。大手メディアは数や機動性において市民メディアにかなわない。一方、市民メディアは情報の検証や倫理の点で大手メディアのクォリティーを確保できない。それぞれが欠点を補完しあうことが、新しい時代のジャーナリズムの理想的な形だというのだ。

喧々諤々の議論は終わる事がないが、ブログをはじめとする市民メディアと既存のテレビや新聞を対立構造で捉えるのはそろそろやめるべき時期であることは確かだろう。大手メディアは滅び行く恐竜で、市民メディアこそが新しい潮流だという見方は時代遅れだ。両者が膝を交えて新たな可能性を探るべき時が来ている。

 

【編集部ピックアップ関連情報】

○CNET 佐々木俊尚 ジャーナリストの視点  2008/06/14
 「同じ空間を共有できていたのか─秋葉原事件の撮影について」
 秋葉原連続殺傷事件をめぐって、現場を撮影した人たちのモラルが問題に
 なっている。背景には報道と野次馬の境界線が消失し、一般人の情報発信と
 マスメディアの取材・報道の境界線がなくなっているということがある
 のだろう。それはたしかに事実であり、そう指摘することはたやすいのだ
 けれども、しかし一方で、なぜ報道の撮影に対してはある程度許容できる
 のに対し、一般の人の撮影に対してはなぜあれほどの不快感を抱いてしまう
 のかという、その差を説明できたことにはならない。
http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2008/06/14/entry_27002476/


○シロクマ日報  「秋葉原通り魔事件とデジタル野次馬」 2008/06/09
 「普通の人々が記者になるとはどういうことか」という問題は、
 オーマイニュースやJANJANに登録している人だけが考えれば良い
 時代ではないと思います。僕自身、マスメディアを批判する文章を
 よく書いてしまいますが、その矛先は同時に自分自身に向いている
 ことを自覚しなければならないでしょう。でなければ、「自分だけ
 でなく他人の野次馬根性も満たす」という点で普通の野次馬よりも
 タチの悪い、「デジタル野次馬」に成り下がってしまうと思います。
http://blogs.itmedia.co.jp/akihito/2008/06/post-b4cb.html


○ふるちんの「頭の中は魑魅魍魎」 2008/03/02
 『エクサバイト』服部真澄、近未来を描く傑作か駄作か
 舞台は2025年の世界。舞台は日本、アメリカ、イタリアと幅広い。
 グラフィコムという会社が開発したユニット、これを眼の近くに埋め込むと
 自分が見た映像が全て記録されるという。世界でこのユニットを装着する
 者が増えているという辺りから話は始まる。そのユニットを上手く活用する
 方法を思いついた日本人映像プロデューサ、ナカジ。そして同じように
 ユニット活用から大きなビジネスチャンスを作ろうとする、
 エクサバイト商會のローレン・リナ・バーグ。両者の向かう先は、ユニット
 を本人の死後回収して、それを元に歴史を描き出すというもの。しかし、
 そう簡単にはいかないのが小説の世界。果たしてこのビジネスの行方は?
http://blog.goo.ne.jp/full-chin/e/5c374069d756fdd934f9c1dd51a7f725


○加島卓 凸と凹の間 「あぁ、俺はVJだったのか」 2008/06/03
 要するに私たちは、コミュニケーションされる内容が同じであっても、
 コミュニケーションの形式が異なることにより、生じる意味が異なって
 しまうことを直感的に知っている。また私たちは、どんなに努力をしても、
 自分の意図に反して、コミュニケーションが失敗してしまうことがある
 のも知っている。メディア論を「方法」として身につけるとは、
 このようなメカニズムを内在的に理解し、「完全なコミュニケーション
 など存在しない」という事実と付き合い続けられるようになることとも
 言えよう。社会には、決定的な答がない。だからこそ、考え続けなくては
 ならない。
http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20080603


○くろいぬの矛盾メモ  2008/02/17
 「新聞社で読者投稿欄の原稿修正をしてた者ですが」
 新聞社にいた時、読者原稿を修正する時の注意する点として、
 何度も言われたことは以下の3つ。
 1.読者の意見を変えるな
  → 主観的で偏った意見であっても、読者の「言いたいこと」を
    変えてはいけない。
 2.最も大事なテーマだけに絞り込め
  → 言いたいことを1つに絞り、繰り返しや無駄な例示、脱線部分などを
    削る。
 3.誰が読んでもわかる文章にしろ
  → 文体を整え、指示語を減らし、誰が読んでもわかるように具体的な
    情報を盛り込む。
http://d.hatena.ne.jp/shields-pikes/20080217/p1


○大学院生介護福祉士の日々  2007/06/16
 ジャーナリスト神保哲生氏・「メディア問題」の講演を聞いて
 本来権力の監視機能を果たすべきメディアが、その権力側に擦り寄って、
 庇護を受けて、取り込まれている、との、大手メディアに対する批判論を
 展開された。そして、メディアがそうなってしまっている理由として、
 日本のメディアの構造問題の核心である、「負の3点セット」をあげられた。
 すなわち、「クロスオーナーシップ」、「新聞再販制度」、
 「記者クラブ制度」である。
http://blogs.yahoo.co.jp/kaigomura/9587872.html


○戸崎将宏の行政経営百夜百冊
 「メディア・リテラシー 世界の現場から」 2005/09/07
 アメリカでは、子供の視点から見たニュースを発信し続ける
 「チルドレンズ・エクスプレス」(CE)の活動が紹介されています。
 メディアの民主化の実現に向けた実践として、CEのようなNPOを中心とする
 メディア団体が成果を挙げています。社会的弱者である子供の視点を
 重要視したCEが設立されたのは1975年にさかのぼります。CEの小さな記者は、
 固定観念に縛られないストレートな質問によってパワフルなコメントを
 引き出すことができ、大統領選挙の報道でピーボディ賞を受賞するなど、
 アメリカの報道関連の賞を総なめにしています。
http://www.pm-forum.org/100satsu/archives/2005/09/post_209.html

 

 

 


  • いただいたトラックバックは、編集部が内容を確認した上で掲載いたしますので、多少、時間がかかる場合があることをご了承ください。
    記事と全く関連性のないもの、明らかな誹謗中傷とおぼしきもの等につきましては掲載いたしません。公序良俗に反するサイトからの発信と判断された場合も同様です。
  • 本文中でトラックバック先記事のURLを記載していないブログからのトラックバックは無効とさせていただきます。トラックバックをされる際は、必ず該当のMediaSabor記事URLをエントリー中にご記載ください。
  • 外部からアクセスできない企業内ネットワークのイントラネット内などからのトラックバックは禁止とします。
  • トラックバックとして表示されている文章及び、リンクされているWebページは、この記事にリンクしている第三者が作成したものです。
    内容や安全性について株式会社メディアサボールでは一切の責任を負いませんのでご了承ください。
トラックバックURL
http://mediasabor.jp/mt/mt-tb.cgi/730
『エクサバイト』服部真澄、近未来を描く傑作か駄作か 2008年06月25日 20:24
「エクサバイト」服部真澄 角川書店 2008年 1700円 「龍の契り」で度肝を抜かせ、「鷲...