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どうなる?パラダイス鎖国時代の洋楽マーケット―マイケル・ジャクソン・ブームで思い起こされる洋楽黄金期としての'80年代

■アーティストとしてのマイケル・ジャクソン再評価を支えたもの
 
 マイケル・ジャクソンの「最後」のリハーサルを収め、昨2009年に公開された映画『THIS IS IT』のDVDが1月27日付けで発売されたが、すごい勢いで売れているようだ。オリコン・リサーチの発表によれば、店頭初日となる1月26日付けのデイリー・ランキングで、総額16.1億円を記録したとか。厳密にいうと、DVD(2枚組と1枚もの、さらにメモリアルBOX仕様の3種)とBlu-ray Discでの発売だったわけだが、DVD版の売上総額10億円だけでも、昨年のDVD売上げ初動1位を記録したあの『崖の上のポニョ』の初日売上げの2倍近いというのだから尋常ではない。


マイケル・ジャクソン
『THIS IS IT デラックス・コレクターズ・エディション』
(ソニー・ピクチャーズエンタテインメント)
DVD2枚組ヴァージョン

 マイケル・ジャクソンが昨年6月に亡くなった時、「ワイドショー」的な部分での盛り上がりは予感していたが、音楽アーティストとしての側面にこのような形で光が当てられ、彼の音楽作品が実際にここまで大きな数字を残すようになることまでは予想できなかった。 しかしよく考えてみると、マイケル・ジャクソンというのは“キング・オブ・ポップ”であると同時に、日本の洋楽受容史においても希有な期間であったに違いない'80年代「洋楽ブーム」のアイコンのような存在であり、それだからこそ、あの時代を「洋楽」と共に過ごした現在30から40代の大人たちがマイケル・ジャクソンという巨大だったアーティストの存在の記憶を、若干のノスタルジックな思いもあって一気にたぐり寄せる、そうしたことが今回のマイケル再評価を支えているのではないのだろうか。


■'80年代洋楽ブームとポスト・モダン的「差異化」のゲーム
 
 今から見ると、日本の'80年代というのは、若者の音楽文化の中で「洋楽」というものがかなり大きな位置を占めていた特異な時代だったことがわかる。

 米国でMTVがスタートしたのが1981年。NHKの「ヤングミュージックショウ」など一部の奇特なTV番組や映画を除いては、音と音楽雑誌などで見る写真だけの存在だった洋楽アーティストの動く姿が、ハイ・クオリティな映像と共に一気になだれ込んで来た。その結果、アイドル的存在から、ピーター・バラカンさんの「ポッパーズMTV」でしか見ることができない通好みのアーティストまで、洋楽アーティストたちの日本での存在感が一気に増してきたのだった。

 ブームを作り出したのは、そうした外的要因ばかりではなかった。戦後の高度成長の果てに迎えつつあった低成長時期、耐久消費財が日本中の「中間層」にひと通り行き渡ってしまった後にも日本経済の成長を続けさせるための新たなる消費文化の形としての「文化マーケッティング」のターゲットとされたのが、その時代の若者たちだったことも大きい。

 筆者の手許にある高原基影著『不安型ナショナリズムの時代』(洋泉社新書/2006年)からの孫引きを許していただけるとするなら、'80年代の若者たちは、以下のような調査報告が書かれるような状況におかれていたのだ。

 ≪低成長時代を乗り切っていく上で、「量から質」への転換が主要なテーマであるなら、この転換を保障してくれるのが若者である。これは耐久消費財にとどまったことではない。東京の産業の中で、外食産業を始め、アパレル産業、趣味・レジャー関連産業など、若者の生活行動と消費力をその主要な基盤としているものは、近年特に成長の度合いが高い、いわば今日の東京における高度成長産業となっている。その意味で、現在大都市の産業は、若者への依存を急速に強めているとも言えるのである≫
 (財)東京都政調査会(総合研究開発機構)編『若者と都市─大都市に生きる若者の意識と行動』(学陽書房/1983年)より

 そういう背景の下で、'80年代の若者たちは、商品の機能そのものではなく、商品の付加価値の中に趣味的差異を見出し、そのことで商品の購入意欲を自己の中に作り出すという、ポスト・モダン的な「差異化」のゲームに奔走させられることになった。音楽の世界においては、海外から(その主な部分は映像と共に)届けられるカラフルなカタログが「差異化」のゲームの格好の標的となったのである。

 そうした'80年代の風景は、田中康夫(著)『なんとなく、クリスタル』(河出書房新社/1981年)でも描かれていたはずだし、逆にそうした「差異化」を若者たちが求める前提として幅広い共通の「洋楽」体験があったことは(邦楽ではなく洋楽を選ぶという時点で、「差異化」のゲームはスタートしているわけだが…)、以前ポリスをテーマにしたエントリーを書いた時に引き合いに出したことのある奥田英朗さんの短編「家においでよ」(短編集『家日和』集英社/2007年)でもノスタルジックに描かれていた通り。

 横田修一が「'80年代青春群像」を描いて昨年話題になった小説『横道世之介』(毎日新聞社/2009年)には、同じ'80年代でも『なんとなく、クリスタル』の主人公とは(恐らく)対極にある純朴な主人公、横道世之介の青春が描かれているのだが、それでもやはり地元長崎での高校時代にはマドンナの曲が流れるし、東京で大学生活を送るようになってからも……『ポパイ』『ブルータス』の情報を元に憧れの年上の女性とのデートコースを考え、当時「文化マーケッティング」と「洋楽文化」のまさに“発火点”のような場所だった六本木WAVEに行き、スティングの新譜を試聴しながら待ち合わせまでの時間をつぶす……という具合だ(結局その彼女にドタキャンされるというのが“クリスタル”にはなり切れなかった、この本の主人公らしいポイントでもある!)。やはり、あの時代の日本を描くのに、洋楽は欠かせないアイテムなのだ。


■マニアックな洋楽からコミュニケーション・ツールとしてのJ-POPへ
 
 しかし、洋楽にとっては幸福だったそんな状況が大きく変わり始めたのは、恐らく90年代に入って、ドリームズ・カム・トゥルー(92年のアルバム『The Swinging Star』の日本初の300万枚超えのニュースに受けた衝撃のことはよく覚えている)や、安室奈美恵をはじめとする小室哲哉プロテュース作品とつづいたJ-POPのメガ・ヒット連発あたりがきっかけだったのだと思う。

 海部美知(著)『パラダイス鎖国 忘れられた大国日本』(アスキー新書/2008年)も言うような、'80年代後半までは邦楽は≪70%前後を推移しているが、91年から急速に上昇し始める。「アイドル歌謡」が衰退して、Jポップという用語が使われだしたのが80年代末ごろと言われており、ほぼ時期が一致する≫という事態が訪れたのだ。'80年代洋楽のエッセンスを「記号」的に取り入れつつシステム化してしまったZARDをはじめとするビーイングの一連のアーティストたちの成功も、音楽文化にとっての時代の転換期を象徴していたのかもしれない。そして同時期に、リリース直後の曲がすぐに歌える通信カラオケの出現と、「酒場」とは切り離された形のカラオケ・ボックスが全国に普及していったことで、「日本語のうた」を歌うカラオケは、同時代の若者たちの重要な娯楽とコミュニケーション・ツールとなっていくのだった。

 もちろん'80年代には「洋楽」だって若者たち、特に男女間の重要なコミュニケーション・ツールだったのかもしれないが、そのメディアは「彼氏」が(あるいは「彼女」が)情報誌やラジオからの情報を元に自ら購入してきた、あるいは貸しレコード店で借りてきたアナログ・レコードからダビングして編集されたカセット・テープ。そしてそれがセットされるのはカー・ステレオ、つまりそうやってセレクトされた音楽が鳴らされる空間はドライヴ中の車の中なのであった。そこには情報に対する「感度」や、一定以上の蘊蓄(うんちく)、そして音源(アナログ・レコード)入手にも手間隙と多少のスキル、そして金銭的負担が必要とされた。そのひとつひとつのプロセスが、'80年代的な「差異化」のゲームの中で自己存在を再確認する行為であったのかもしれないし、そうやって、社会から要請された「文化消費」の中で、若者たちの中にある種のマニアックな感性が培われていった時代だったのだとも言える。

 しかしそうしたマニアックな「行為」の集積で成り立っていた洋楽文化の次世代への継承力は決して強いとは言えなかったようで、通信カラオケの持つ即時性、簡易さと、「日本語のうた」による直接的なコミュニケーションの「強度」にも阻まれ、次第にその勢いを失っていくことになる。


■「パラダイス鎖国」時代の「情報病」的若者たちにとっての音楽とは?
 
 '90年代以降、洋楽が一気にその地位を失ったというわけではなかった。バックストリート・ボーイズ、ブリトニー・スピアーズからアヴリル・ラヴィーンといったアイドルは出てきたものの、新しい世代のとんがった層に刺さるような、若いアーティストによる「最新」の洋楽という、'80年代までにはあったような、いわば洋楽の「先鋭部隊」の存在感は薄れていった。その代わり、現在の「紙ジャケ」ブームにつながるような、ヴェテラン・アーティストの「復活」コンサート・ビジネスや、マニアックな旧作品のリイシューが、洋楽マーケットを次第に支えるようになっていく。それと並行して、洋楽マーケットの消費者層が少しずつ高齢化していくことになったのは否定できない事実である。

 三浦展、原田曜平両氏が男女の現役大学生二人と語り合う興味深い新書『情報病――なぜ若者は欲望を喪失したのか?』(角川oneテーマ21/2009年)では、洋楽ファンにとって、さらに恐ろしい現在の若者たちの状況が浮き彫りにされている。「草食」などと言われる「ケータイネイティブ」(註)世代の若者たちの消費の対象は、モノでも文化でもなく、コミュニケーションそのもの。マニアックな趣味を基盤にした「差異化」など付け入る隙のないほどに、彼らはコミュニケーションのためのインフラそのものの維持(ケータイ料金を払うために若者がCDを買わなくなった、という意見は4から5年前から聞かれてはいたが)とコミュニケーションの強度を保つために、息苦しい思いを感じつつも日夜、力を尽くし時間をかけているのだという。この本の中に出てくる「本当は趣味のジャンルである音楽でさえ、とりあえず皆集まったらSMAPの歌を歌うとか、デートの時だとEXILEだとか、定番というか決まりごとが多いみたいだもんね、君らは」という原田氏の衝撃の「証言」に、筆者はかなりの衝撃を受けた。

 こうした状況を、携帯市場のガラパゴス化などとも言われる、日本の産業が世界に向けて閉じていきつつある現状の分析と合わせ、「パラダイス鎖国」と名付けたのが前述の海部氏だったが、氏による「最近の若者は洋画を観なくなった、洋楽を聴かなくなったというより、80年代の日本人が洋モノ好きだったというほうが正しいのかもしれない」という意見に納得しつつも、世界に向けて閉じられていきつつある日本の音楽市場の行く末に、筆者は一抹の寂しさとともに、危惧を感じてしまうのである。


■エピローグ
 
 このエントリーを書きながら、当時は手にしなかった『なんとなく、クリスタル』の内容をもう少しちゃんと知りたくなり、インターネットを検索していくと、思わぬ情報にぶつかった。
http://ishibashimasao.at.webry.info/200503/article_14.html

 上のブログによると、『なんとなく、クリスタル』の最後には、実は「出生率や厚生年金保険料などの統計値」が掲げられていたのだという。

 ということは、'80年代ならではの「クリスタル」なライフスタイルが、若者が文化消費のメイン・ターゲットになっている中で起こっている一時的な(つまり永続は不可能!な)現象だということを見極めつつ田中氏はあの小説を書いた、ということだったのか? そして、その果てに現代日本の年齢人口バランスの不均衡や高齢化社会の問題が起こるであろうことまで見据えていたということなのか!?

 そのブログを読んで、どうしても実際に本を手にして確認したくなり、慌てて『なんとなく、クリスタル』を大型書店で探してみたが、すでに絶版。それではと、古書店にも足を運んでみたが、すぐには見つからず。古書サイトで探してみたら、「稀覯本」扱いで高価な値段を付けて売っているケースを見つけて唖然としてしまった。それだけ'80年代とその文化は、遠くのものになってしまったということなのかもしれない。


<註>
『情報病』にも関わった元博報堂の原田曜平氏が著書『近頃の若者はなぜダメなのか 携帯世代と「新村社会」』(光文社新書/2010年)の中で提唱している言葉。「パソコン・インターネット・ケータイ等のデジタルツールに、生まれたときから水や空気と接するように触れ合ってきた世代」という意味の造語である「デジタルネイティブ」のケータイに特化した日本の若者ヴァージョンとでも言うべき言葉。なお、この本で描かれる若者の音楽趣味のあり方は、何故か『情報病』でのそれとは少しニュアンスが異なる。

 

【編集部ピックアップ関連情報】

○muse-A-muse 2nd 「J-POP、J文学とはなんだったか?」2007/04/11
 歴史的な経緯としては、「J」という言葉が使われ始めたのは87年の「JR」が
 最初らしい。んで、その次の年に「J-wave」ができて、それが「J-POP」という
 言葉に繋がっていった、と(@烏賀陽弘道『Jポップとは何か』)。なので
 「J-waveで流れてたような曲」とかなんとか。「J-waveで流れてたみたいな
 洋楽っぽい邦楽」、と。
http://muse-a-muse.seesaa.net/article/38466660.html

○札幌テレビ塔 界隈ブログ 「切実であるということ」2009/11/07 
 なぜ洋楽が売れないのか。これは明らかに、今の若い世代にとって
 切実感を共有できる舞台装置が失われているからに他ならない。
 そして代替となる国内系の楽曲もあふれかえっている。
http://ecometrue.exblog.jp/12278365/

○不純文學交遊録 「KY消費」 2010/01/18
 あとがきで三浦展は「若者よ、もっと孤独になれ」と訴えています。
 「空気を読む」という同調圧力に支配される若者たち。自由や個性を
 尊重する教育環境で育ったはずなのに、実はとっても不自由な
  世代なんですね。
http://blogs.dion.ne.jp/fujun/archives/9121129.html

 

 


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