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プチおやじたちは何故Perfumeのフィルター・ヴォーカルに萌えるのか?

 Perfume(パフューム)について、もう少しだけ考察を続けたい。

 やはり気になるのは、あのエフェクト加工された「フィルター・ヴォーカル」のことだ。何故ああいったものが受けたのか? しかも、これは筆者の周りだけなのかもしれないが、1970年前後の生まれの男性たちがPerfumeに萌えている。完全おやじ世代となったしまった筆者よりひと周り弱だけ下の、いわば「プチおやじ」世代に大受けなのである。これは一体何故なのか?

 そもそも、テクノ─ハウス・サウンド(またはそういった意匠のダンス/ロック系サウンド)とハイ・トーン・ヴォイスとの組み合わせの相性が非常に良いことは、昔から知られていた。ヴォコーダーやトーキング・モジュレイターといった機材で歌声にエフェクトをかける時の目的は、合成音声的なロボット・ヴォイスか中性的─女性的な音声を作り上げるため(または二つの混合)だった。したがって、最初からハイ・トーンで魅力的な声を出せる女の子たちの声に、こうした機材によるエフェクトをかける必要性はあまりなかった。

 おやじ世代として、フィルター・ヴォーカル系の名曲としてすぐに脳裏に浮かぶのは、フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」(これはテープの回転を速めて歌声のピッチを変えただけのものではあるが)、ジェフ・ベック「シーズ・ア・ウーマン」、ピーター・フランプトン「ショー・ミー・ザ・ウェイ」、エアロスミス「ウォーク・ディス・ウェイ」、ザップ「コンピュータ・ラヴ」といったもの。そして、Perfumeにも影響を与えたと言われているダフト・パンクの「ワン・モア・タイム」を加えても、元になっているのは男声ばかりだ。

 少し毛色の変わった例として、スクリッティ・ポリッティを挙げることもできる。ただし、この「グループ」は、最初から中性的で魅力的なハイ・トーン・ヴォイスで歌うことができるグリーン・ガートサイトという希有な個性を擁しており、その存在だけで、サンプリング音を駆使した'80年代的な透明感のあるダンス・ミュージックとの相性はバッチリ。エフェクト類は不要だった。ちなみに、今年4月にリリースされたPerfumeのアルバム『GAME』に収録された「Butterfly」などのバックトラックには、そのスクリッティ・ポリッティを思わせるような愛らしい上下行フレーズが入っていたりしていて面白かった。


『GAME』
2008年4月16日リリースのPerfume初のオリジナル・アルバム。
大ヒットした「ポリリズム」を冒頭に収録し、『オリコン』のデイリーと週間の両方の
アルバム・チャートで1位を獲得した。これはDVD付き初回盤のジャケット。



 少し時代を遡るが、'70年代の日本のテクノ・ポップ・シーンにも、そんなハイ・トーンの歌声とテクノ的な意匠のピコピコ・サウンドを結びつけて成功した例があった。ジューシィ・フルーツの「ジェニーはご機嫌ななめ」('80年/作曲、プロデュースは近田春夫)がそれで、ヴォーカルの女性=イリア(奥野敦子)がファルセット・ヴォイスを駆使、これまた機材によるエフェクトなしで、その可愛くキッチュな歌声は絶妙な魅力を醸し出していた。

 実はこの曲、初期Perfumeのサウンド作りにとっての「雛型」のひとつだったフシがあり、インディー時代の'03年のシングル「スウィートドーナッツ」のカップリング曲として、カヴァーにも挑戦している。ところが、その出来があまり良くないのである。SPEEDみたいに歌うのが目標だったという当時のPerfumeの3人の生の歌声は元気一杯で、おきゃんな風合いが楽しくはあるものの、この曲本来のキッチュな魅力は再現し切れていない。端的に言うと歌う際に力を入れ過ぎなのだ。


「スウィートドーナッツ」
2003年8月6日リリースのインディー(BEE-HIVE)時代、東京進出第1弾シングル。
カップリング曲は、「シークレットメッセージ」と「ジェニーはご機嫌ななめ」の2曲。
現在は、初期シングルのリイシュー・ボックス・セット
『Perfume Fan Service - Prima box -』の中の一枚として入手可能。
歌声にフィルターがほとんどかかっていないほか、メンバーのメイク、衣装も
今とは随分違う。

 このシングルは、彼女たちが広島から東京に出てきての第1弾。中田ヤスタカがPerfumeのプロデュースを手がけるのも、このシングルが最初だった。そのためか、ヴォーカル処理も含めたサウンドの作り込みは随分控え目。しかしその後、中田は、彼女たちの「声」の魅力が、そのような「歌声」にあるのではなく、普通に会話している時の、もっとユルく、脱力した時の声にあることに気づいたらしい。

 そこで登場してくるのが、ヴォコーダーやオートチューンといった機材(実際には、その二つが一体化した形のコンピュータ・ソフトを使用しているようだが)。それらを駆使すれば、彼女たちに、脱力した時のイイ感じの声や、可愛らしい「ささやき」声で自由に「歌わせる」ことが可能になるからだ(註1)。中田プロデュースにおいては、Perfumeの3人が普通に歌ったものを後からちょっとエフェクト加工した、というだけでは説明がつかない、もっと大胆な処理を施したヴォーカル・パートがかなり存在しているようなのだ。

 例えば、「ポリリズム」の冒頭から出てくるコーラス部分。ここには主旋律に重ねられている少し小さな声のコーラス・パート(右チャンネル)があるが、これなどはレコーディング時に歌われたメロディがそのまま使われているのではなく、ミキシングの段階で新たに作られたメロディに乗せて、彼女たちの声が使われているように聞こえる。極端な言い方をすれば、レコーディング段階でサンプリングした彼女たちの声を使い、中田ヤスタカが新たなメロディを「弾き直し」ている…そんなイメージの使い方なのだ。

 また「チョコレイト・ディスコ」の中に何度か出てくる「いいな」というフレーズにおいて、普通の日本語の感覚では「いーな」と流れるように発音するはずの部分が「い・い・な」と、「母音」のみの発音の連続の部分でさえ分断されて聞こえるのは何故なのか? これも中田が彼女たちの声を「弾き直し」ているためなのではないかと推測できる。このような「加工」技術を駆使することによって、彼女たちのヴォーカルにはコブシのニュアンスが加えられたり、(4拍子の曲の中で)5拍子でループするような高度なヴォーカル・パートが実現したりしているのである(いずれも「ポリリズム」)。

 多くのヴォーカル・パートが加工されているといっても、3人の声質の差は聞き取りやすいように、ソロ・パートが頻繁に用意され、その際、ステレオの広い空間の中のどこに3人の声をそれぞれ「定位」させるか、といったことについても、かなり計算がなされているように見える。そうやって、人工的に加工された質感の中にも最低限のリアリティは感じられるような丁寧な作りになっている点も注目されるべきだろう。

 一方、同アルバムの「Take Me Take Me」では、そんな彼女たちのユルくて可愛らしい声の質感がかなりナチュラルに発揮されている。この曲の中で繰り返される「Take Me, Take Me」という、ほとんど「ささやき」に近いパートは恐らくノン・エフェクトで、現在のPerfumeのレコーディング時の歌声を確認できるのだが、やはりこれでも「ジェニー…」の頃の歌い方とは相当距離がある。

 さて、こう書いてきて、Perfumeのレコーディング「作品」を通じて、その向こうにあるはずの「彼女たちの本当の声」を推測しなければならないのか? 自分でもわからなくなってきてしまった(苦笑)。ただ、聞き手にそういう「想像」をさせてしまったりするところが、このフィルター・ヴォーカルの魅力のひとつではないか、とは思うのだ。そして、そんな加工されたヴォーカルの向こう側にあるはずの彼女たちの「本当の姿」を見出そうとする聞き手の側の積極的な「ふるまい」が、結果的に彼女たちのキャラクターを際立たせる結果になっている可能性は高い。ハッキリと見えないから、もっと覗いてみたくなる……その結果としていろいろなものが見えてくるのである。

 当然のことながら、Perfumeはインターネット時代のアイドルだけに、ぶっちゃけトークで知られる彼女たちのテレビ出演や雑誌などでのインタヴューといった、彼女たちの「本当の姿」に少しでも近づくための「資料や情報」にアクセスすることは、昔とは比べものにならないほど容易だ。こうした周辺状況も、聞き手側の積極的な「ふるまい」を加速している面があるはずだ。

 しかしながら、筆者より少し下のプチおやじ世代の意見を見たり聞いたりしていると、その世代の人たちにとっては、フィルター・ヴォーカルの向こうにある彼女たちの「本当の姿」を追い求めるような「ふるまい」すら、もはや必要ではなく、もっとストレートにPerfumeの音楽に没入しているようにも見えてくる。現在、となりの編集部で制作中の『ミュージック・マガジン』10月号(Perfumeの巻頭大特集です!)にも、そういった意見が載っているのではないかと思うが、元の声がどうのこうのという段階を超え、加工されて加えられた少々イビツなニュアンスを含めた、あのままの「音」「質感」に魅力を感じているようなのだ。

 子どもの頃からYMO以降の音楽スタイルに当たり前に接し、ギョーカイなどという言葉と共に、その裏側までも推測しながらメディアやそこに躍るものたちを見ることに慣れたそうした世代のファンたちは、本来は、アイドルたちの音程の悪さを補正するために隠して使うべきものであるオートチューンのようなエフェクトを極端にまで明示的に使って聞かせるあのヴォーカル・スタイルに、逆説的にリアリティを感じ始めているのかもしれない(註2)。

 そこでは、彼女たちの声を敢えて人工的に「純化」した形で「愛好」するということに関して、「制作者」である中田ヤスタカと聞き手との間に「共犯関係」が成立している。こうしたフィルター・ヴォーカル自体がすでに、評論家、東浩紀の言う「萌え要素」(註3)の仲間入りを果たしつつあるのではないか? あの「初音ミク」が、コンピュータ---インターネット上で活躍するキャラクターとして大ブレイクしてしまった(註4)原因も、あれが「萌え要素」的なヴォーカルを武器にしたキャラクターとして捉えられたからではないか、とニラんでいるのだが。

 

<註1>
中田ヤスタカのフィルター・ヴォーカル制作手法に関しては、CS放送のMUSIC ON TV!チャンネルで放映された番組「ユメレジ」(http://www.m-on.jp/yumereji/nakagawa/index.html)の1月29日放送分が非常に興味深かった。ホストのしょこたんこと中川翔子の声を、マック上のヴォコーダー+オートチューンを使い、目の前で「加工」して見せる中田ヤスタカ…DTMの現場を詳しく知らない者には結構衝撃的なシーンの連続だったりする。

<註2>
こうした逆説的、倒錯的リアリティが実際に存在していることの例として、「都市のウソっぽさを表現したい」として、都市の風景をまるでミニチュアのように切り取って見せてくれる写真家、本城直季の作品群を挙げることも可能だろう。筆者は何故か一目見てグっと来てしまった。
http://www.tokyo-source.com/ts/12/naoki_honjyo/
ポリスに関するエントリー(http://mediasabor.jp/2007/07/the_police23.html)で触れた、奥田英朗の短編集『家日和』(集英社)の表紙にも彼の写真か使われていた。
オリジナルLPの時代性も含めた魅力を「純化」する形でミニチュア化している紙ジャケも、逆説的リアリティとして挙げることが可能かもしれない。

<註3>
東浩紀が『動物化するポスト・モダン オタクから見た日本社会』(講談社現代新書、'01年)の中で提唱した概念。アニメやゲーム、キャラクター商品の世界では、本来はその背景に存在しているべきストーリー性やその「設定」といった「大きな物語」とは無関係に、消費者がキャラクターの「断片」に感情移入するような状況が見られ、そのような「消費者の萌えを効率よく刺激するために発達したこれらの記号」が「萌え要素」とされる。「メイド服」や「触覚のように刎ねた髪」などもその例。ちなみに東浩紀は'71年生まれ。

<註4>
「初音ミク」に関しては、メディアサボール内のエントリー(http://mediasabor.jp/2008/05/post_389.html,
http://mediasabor.jp/2007/11/post_272.html
ですでに言及されているので、ここでは繰り返さない。またその「初音ミク」が開発者の想定とは違って、キャラクターとしてブレイクしてしまった経緯に関しては、東浩紀・北田暁大編『思想地図』(日本放送協会出版、'08年)所収の論文、増田聡「データベース。パクリ、初音ミク」に詳しい。

 

 

【編集部ピックアップ関連情報】

○MediaSabor  2008/08/11
 アイドル・ソングを超えたPerfume「ポリリズム」の「作り込み度」
http://mediasabor.jp/2008/08/perfume.html


○ビールを飲みながら考えてみた…  2008/01/26
 「動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会 / 東浩紀」
 90年代に注目を集めたものとして「萌えキャラ」がある。こうした萌え系の
 キャラクターは、メイド服、ネコ耳、ネコしっぽ…などの形式化した
 「萌え要素」の組み合わせで構成されており、オタクたちがそうした
 萌えキャラに「萌えた」のは、キャラクター(シュミラークル)への盲目的な
 没入や感情移入と同時に、その対象を「萌え要素」に分解しデータベースの中で
 相対化しようと試みたからだった。「同人誌」やマッドムービーの制作など、
 本来の「ストーリー」とは別に、個々の要素を抽出・マッシュアップし、
 盗作やパロディやサンプリングとは違う原作と同じ価値をもつ「別バージョン」
 を生み出そうという欲望が背景にあったのだ。
http://blog.goo.ne.jp/mailtotaro/e/dada60513f4d8f49d041bd327067ec61


○Baldanders.info 『ゲーム的リアリズムの誕生』を読む 2007/03/26
 「コンテンツ志向メディア」の「物語」はコンテンツとして取引の対象にできる。
 つまり「コンテンツ志向メディア」ってのは私がよく書く「コンテナ」を指す
 ものであり,また市場を指すものでもある。一方,「コミュニケーション志向
 メディア」の「物語」は取引の対象にできない。なぜならそれは
 「コミュニケーション」の構成員の間で共有されることによってのみ存続し
 得るからだ。すなわち「コミュニケーション志向メディア」とはコミュニティ
 (あるいはコミュニティの間にあるなにか。コモンズ?)を指すものだと
 言えないだろうか。(ただしここで言うコミュニティは「繋がりの社会性」を
 前提としたものである点に注意。
http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000306.shtml


○ハードコアテクノウチ 2008/09/10
 「自分語り124 パクリとパロディの境界線」
 例えばパフュームのヒットソングとアンダーワールドの世界的な
 ヒットソングは、サビの部分のバッキングがほぼ同じであり、中央動画の
 ようなマッシュアップ動画も1つや2つではないため、これは案外有名
 なのかもしれません。というか聴けばわかります。そしてこれをここで
 このマッシュアップ制作者のように「この二つを被せると面白い」と思うか、
 動画のコメント内にあるように「パクリだ」と思うかで非常に意見が
 分かれます。私の場合、「ここまで似てるバッキングでここまで違う楽曲に
 出来るのか」と中田ヤスタカの能力に驚かされるばかりです。
http://www.technorch.com/2008/09/124.html


○くりおね あくえりあむ CD 「love the world」 Perfume 2008/07/12
 「love the world」はバグルスの「ラジオ・スターの悲劇」を彷彿とさせる
 ハッピーでラッキーなピコピコ音あふれる佳曲。お年頃のオンナノコたちの
 ふわふわに包まれた歌詞を支えるゴージャスなサウンド。
 インストゥルメンタルが一緒に収録されていますが、これを聴くと音の作りが
 けっこう骨太でしっかりしているのがわかります。
http://clione.cocolog-nifty.com/clione/2008/07/perfume_love_th.html


○たくさんのキップル 「引いてもらってけっこうです」2008/04/22
 Perfume の曲はサウンドプロデューサー中田ヤスタカの空気を読まない
 趣味により、ヴォコーダーや Auto-Tune によるエフェクトが派手に
 かかったものが多いため、主に「コンピューターシティ」以降の曲に
 ついてはライブでは口パクになることが多い。このような曲ではマイクを
 使うことを完全に放棄した斬新な振り付けも含まれており、見せる側も
 パフォーマンスとして割り切っていると思われる。
http://valis.blog5.fc2.com/blog-entry-560.html

 

 

 


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