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電子書籍に関する小さくて大きな要望

以前、自分のブログに「電子書籍で読みたいもの」という記事を書いたことがある。2004年だから、5年ほど前のことだ。
http://www.h-yamaguchi.net/2004/07/post_12.html

この記事では、電子書籍が以前からあったがなかなか普及しないこと、当時の商品は品揃えに問題があったこと、個人的には専門書や論文の類を電子書籍化してほしいこと、などを書いた。その後日本では、ケータイ小説の「徒花」的ブームを経て、いまだに悪戦苦闘が続いている状況、といったところだろうか。ソニーが電子書籍専用端末「LIBRIé」(2004年発売)の生産を終了したのは2007年5月だった。ところがここへきて、主に欧米で、電子書籍が急速に盛り上がりを見せていて興味深い。

いわゆる「台風の目」的な存在はやはりアマゾンの「キンドル」だろう。アマゾンの取り分が多すぎる、安売りしすぎて儲からないなどいろいろ不満も聞こえるが、端末の売れ行きは好調らしく、日本を含む世界100カ国で販売との方針が発表された。Amazon.comで販売された書籍の35%がKindle版だとの情報もあるから、出版や書籍販売の業界へのインパクトは大きい。ソニーも「LIBRIé」の姉妹機にあたる「Sony Reader」の新モデルが販売好調のようだし、日本でも市場再参入の方向性との報道があった。ニューズコープ系のウォールストリートジャーナルをはじめとする新聞各社が競って「Sony Reader」向けに新聞記事の提供を始めるようだし、Barnes&Nobleは独自端末「Nook」を売り出したものの焦ったのか調達が遅れ気味になっていたりして、なんだかにぎやかだ。アップルについても、すでにiPhone向けの電子書籍がけっこう出ていたりするが、来年発売予定のタブレット型PCにもこの面での注目が集まりつつあるように思う。

もちろん、課題は山のようにある。特に日本の場合、あちらにはないいくつかの課題が重なる。日本語書籍に対するニーズが英語のそれに比べて格段に小さいこととか、アメリカ等とちがって日本の書籍はあまり大きくないから持ち運びにおける不便はより少ないとか、通勤時の混雑がひどくて端末破損のリスクもあるなんていうこともあるだろうが、最大のものは、すでに「携帯型文書リーダー」としての携帯電話が普及して「しまって」いることだろう。

そもそもこれまで、電子書籍が何度も市場に投入されながらどれも成功せず「死屍累々」となってきた原因の大きな一つが端末問題だった。多くの人が既存の本で別段不満を感じていなかったところへわざわざ数万円もする端末を買わせるためには、相当のメリットがなければならないが、それが用意できなかったわけだ。その状況を打ち破ったのが携帯電話を端末とする電子書籍、典型的にはケータイ小説だった。こちらのほうは、すでに多くの人が端末を持っているし、何よりそれを肌身離さず持ち歩く習慣がすでにでき上がっているのが強みだ。

もちろん画面が小さいという問題はあるが、ケータイ小説はコンテンツ自体が小画面端末に最適化して作られている。多くが無料のものではあったが、そもそも多くの著者が書籍の書き手とはちがっていたし、その中で人気を博したものは書籍になったり、映像化されたりしていったから、ビジネスモデルの上でも、既存の出版業と衝突することなく共存できた。マンガの場合はやや事情がちがって、既存の商業作品を携帯電話向けに編集して配信する動きが主流だが、これも従来の出版ビジネスを補完するかたちで進んでいる。これらが全体としてどのくらいビジネスとして採算性があるのかは別として、すでに一定の普及をみせていることは重要だ。こうした現状で、これから本当に、それより大きな電子書籍リーダーが普及していくのだろうか、というのはそれなりに説得力のある問いだろう。

最近、Time Warner社が「Sports Illustrated」誌を題材に、タッチスクリーン型タブレット端末向けの雑誌に関するコンセプト動画を公開していたが、もちろんこういうのもいい。(http://www.youtube.com/watch?v=ntyXvLnxyXk)高機能の端末で最先端の利便性や娯楽を手にする日を夢見るのはなんとも楽しい。しかしちょっと待て。こういう高機能な端末は、少なくとも当面の間それほど安くはないはずだ。聞くところによれば、発売が待たれるアップル社のタブレットPCは、一説によれば600から800ドル、あるいは1000ドル前後になるともいわれる。(http://www.computerworld.jp/topics/apple/169989.html)この値段、どうだろうか。携帯電話端末や低価格帯ノートPCとそう変わらない価格だが、「本を読む」ために買うだろうか。まごうことなき庶民である私としては、正直ちょっと手を出しにくい価格帯だ。

そこで、冒頭で紹介したブログ記事に戻る。個人的には、趣味で読む本よりも、仕事で使う書籍や資料こそ電子書籍で読みたい、という意見は今でも基本的に変わっていない。1つを通して読むのではなく必要な部分のみをつまみ食いしたい、多種類の書籍を持ち歩きたい、記載された情報に変化があったらアップデートしてほしい、といった状況でこそ、電子書籍の真価が最大限に発揮される、と思うからだ。辞書は電子化が先行しているが、資料やマニュアル、論文などはそうしたものの代表格ではないかと思う。

で、問題は、それらを仕事目的に、常時持ち歩きたいということだ。となれば、必要なのは単なる軽さや見やすさだけではない。携帯電話や携帯音楽端末等でも同様だが、こうしたガジェット類には破損や紛失、故障がつきものだ。しかも電子書籍端末は携帯電話等より大きい分だけ破損リスクは大きいだろう。その意味では、ある程度こうした損害を受けることを前提として考える必要がある。機密データの流出や破損時のデータ復旧の問題も重要だろうが(実際、このあたりは非常に気になるポイントではある)、端末自体については、あまり高価なものでないほうがいい。満員電車で強く圧迫されることもあるだろうし、落としたりして壊したときのことを考えれば、メーカーの都合で高級路線にばかり走られても困るのだ。庶民の「小さな要望」としては、むしろ、低価格で手ごろなものがほしい。「キンドル」の259ドルだって正直高い。

学校や企業などで一括大量導入するとかいう動きになれば面白いのだが、一般への普及を考えるなら、いっそ「タダで配る」ぐらいのことをしなければならないかもしれない。考えてみれば、携帯電話端末も、実際に買えば数万円台のまんなかから後半ぐらいしたりするのだろうが、実際に利用者が支払うコストはもっと低いことが多い。そもそも携帯電話普及の大きな原動力の1つは販売奨励金を使ったいわゆる「1円ケータイ」や類似の低価格で販売された端末だった。日本でブロードバンド接続が普及したのも、「某社」がなりふり構わずADSLモデムを駅前で配布したことが少なからず貢献しているはずだ。それでいうなら当該「某社」の「蛮勇」が再び「起爆剤」になるのでは、などという妄想も広がろう。思い起こせばその初期から出版事業を営んでいた会社だし。もちろん他の企業でもかまわない。この経済情勢下でそういった「勇気ある行為」を求めるのは「大きな要望」すぎるだろうか。

このほか、多くの人にとって電子書籍に惹かれる大きな理由であろう「省スペース化」については、今後のこともさることながら、すでに持っている紙の本はどうにかならないのか、が大きな関心事項になるのではないかと思う。本を自動的に読み込んで電子書籍にしてくれる機械があればいいのだが、そんな便利なものは少なくとも今のところない。一部には本を裁断してPDF化し、電子書籍に取り込んでいる人もいるらしいが、そんな手間やコストをかけられる人はごく一部だろうし、そもそも個々人で対応するのはどうにも無駄すぎる。これは技術的というよりはむしろビジネス、あるいは法を含む制度の問題かもしれないからもっと「大きな要望」かもしれない。

 

【編集部ピックアップ関連情報】

○【絵文録ことのは】 2009/12/28
 Amazon Kindle(アマゾン・キンドル):
 「反射光の電子ブック」という革命的に新しいメディア
 透過光メディア(テレビ、パソコン、ケータイ、iPhone......)は、
 情緒的・主観的でのめり込みやすい。一方、反射光メディア
 (紙、映画、そしてキンドル......)は、分析的・批判的で客観的に
 冷めて見ることになる。
 ここで登場したのがAmazon KindleをはじめとするE Inkを使った
 電子本デバイスだ。デジタルデータを表示させているのに、画面は
 透過光ではなく反射光なのだ。PCやケータイやiPhoneのスクリーンで
 透過光を経由して読むのとは異なり、ごく普通の本と同じ反射光メディア
 として読むことができるのだ。
http://www.kotono8.com/2009/12/28amazon_kindle.html



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http://mediasabor.jp/2009/11/post_723.html

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 (本編から抜粋のテキスト記事:創造と依存をバランスさせて「仕組み」を活かせ)
http://mediasabor.jp/2009/11/post_724.html

 


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